両手を合わせる
両手でにぎる
両手で支える
両手で受ける
両手の愛
両手の情
井伊家の菩提寺龍潭寺はその歴史と共に
貴重な文化財を残している


 両手を合わしたら喧嘩もできまい
両手に持ったら壊れてしまい
一切衆生を両手に抱け・・・坂村眞民・両手の世界
境内地は1万余坪あり、御朱印地九十六石の由緒を残し、そこに立つ堂塔6棟はいずれも江戸時代の建造物として、静岡県の有形文化財に指定されています  また国指定文化財「宋版錦繍萬花谷(金沢文庫)」、県指定文化財の金屏風「遊楽の図」、さらには織田信長公遺品、井伊家拝領の品を多く所蔵しています
この墓所には井伊家元祖・共保より600年の歴史が眠っています
  徳川四天王、井伊直政は永禄4年(1561)2月9日、井伊の庄祝田(ほうだ)で名門井伊氏の嫡男として生まれた
本堂
  2歳の時に父直親が今川氏真の手により殺され、井伊家は滅亡の危機に立ちます。やむなく龍潭寺・南渓和尚は直盛の娘・井伊直虎(次郎法師)を「女性地頭」に立て井伊家の急場をしのぎます
8歳の時、直政は龍潭寺南渓和尚の計らいで三河鳳来寺に預けられ成長します
樹齢400年・梛の巨木  15歳になった直政は、浜松城主徳川家康の家臣となり数々の武勲を立てます
直政の無事成長を願って植えられた伝えられ、隣に子育て地蔵を祀る
梛はマキ科の常緑高木で古来より縁起の良い植物として大切にされています
  天正10年(1584)小牧長久手の戦いで、この赤備部隊が活躍し、井伊家の赤鬼と恐れられました
古くから神の宿る木として、榊とならんで神事に使われている  この功で直政は6万石に出世、井伊家再興を果たしました
梛木君という友人がいる  慶長5年、関ケ原合戦では東軍の軍監(監督)を勤め徳川軍を勝利に導き、彦根18万石の城主となり、徳川軍団の筆頭に出世しました
梛の葉は魔よけのお守りとしてペンダントなどにも使われているようです  慶長7年(1602)2月1日、42歳の生涯を閉じた
萬松山は朝鮮通信使の書
  大門前のツツジがちょうど満開でした
 女城主・井伊直虎:お家断絶の危機に立ちあがった希代の女城主。歴代当主の中に記名はありませんが、受け継がれる井伊氏の歴史と、戦国時代を語る上で注目される人物です。直虎は当主・直盛の一人娘として誕生。直盛には嫡男がなく、従弟の亀之丞(後の直親)を一人娘の許嫁とし、井伊家の跡継ぎとする予定でした。ところが亀之丞の父・井伊直満が謀反の嫌疑にかけられ殺害され、さらに当時9歳だった亀之丞も命を狙われ、信濃松源寺に身を隠すことになります。許嫁から引き離された直虎は、菩提寺である龍潭寺にて出家を決意。龍潭寺第2世住職南渓和尚によって井伊家跡継ぎの証である「次郎」を冠した「次郎法師」の名が与えられました。(中略)許嫁と引き裂かれ、思い悩んだ末に出家し、決死の覚悟で女城主の役目を背負っていった井伊直虎。可憐で力強い橘の如く、運命に立ち向かっていったその姿は、今また、浜松の歴史の追憶へと誘ってくれるのです