光りヲ吸エ、朝ニ吸エ
夕ニ吸エ・体一パイ
力一パイ

5月15日、浜松市にある龍潭寺を訪ねました

 国指定名勝「龍潭寺庭園」
小堀遠州により江戸時代初期に造られた池泉鑑賞式庭園  冒頭の続き
日ノ光ヲ、月ノ光ヲ
星ノ光ヲ、吸イ込メ
  続いて額には
果報無辺・究竟常楽・自浄其意  小堀遠州は滋賀・長浜の出身で、「遠州流」の茶道を興し、二条城二の丸庭園を作庭等をした当代一の文化人である
 また、駿府城の作事奉行を勤めた25代直孝とは親しく、その依頼により造られたと言われている
 四季折々の変化に富み四季を通じて鑑賞することが出来る
 昭和11年に国の名勝記念物に指定された東海の名園である
ハスが純白の花を咲かせていました

 左奥から西峰、中峰、東峰
中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(座禅石)が配され、池の形が心字池となっている
亀出島(守護石の下)、蓬莱岩島(ハスの中にある岩)
  春:梅・桜・白蓮・木蓮・ドウダン・ツツジ・藤・サツキ
夏:スイレン・沙羅・アジサイ・百日紅・ハス・ノウゼンカズラ・やぶらん
  秋:きんもくせい・萩・秋名菊・つわぶき・紅葉
冬:千両・クロガネもち・ツバキ・山茶花など

 井伊家・赤備具足
 戦国時代を迎えると井伊氏に受難の波が押し寄せます。永禄3年(1560)、当主・井伊直盛と大勢の家臣が桶狭間の戦いで戦死、永禄5年(1562)には今川氏によって、直盛の跡を継いだ直親が誅殺されます。翌年直親の祖父・直平も死去し、井伊家の男子は直親の忘れ形見である虎松(後の直政)のみとなります。この危機に登場したのが、直盛の一人娘、のちに井伊直虎を名乗る次郎法師です。直平の死後、幼い虎松の後見人となり、さまざまな困難に立ち向かいながらお家相続の灯を守り抜きます。天正3年(1575)、次郎法師は15歳となった虎松を徳川家康に仕えさせ、井伊氏再興のきっかけを作ります。直虎の意志を継いだ虎松は家康の下で数々の功績を打ち立て、元服して直政と名乗ってからは徳川軍の主翼を担う「徳川四天王」の一人と称されるまでになります。家康が天下統一を果たすと、近江佐和山城主となり、直政亡き後は、息子たちが居城を彦根城へ移し、30万石の近江彦根藩主として繁栄の基礎を築いていくのです