山笑ふ聞こゆる耳に見ゆる眼に・・・日経俳壇より

般若心経は法<存在>の本質を五蘊皆空として説き、続いて法義として「不生不滅、不垢不浄、不増不減」という「六不(ろっぷ)」の空相が開示されます
後ろの建物が舞台づくりの常燈堂(位牌堂)

「舎利弗よ是の諸法は空相にして、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり」の経文について宗祖慈恩大師の「般若波羅蜜多心経幽賛」には次のように注釈されます
また会いに行きますね

本来無くして今有るを「生」と名づけ、しばらく有って還た無きを「滅」と名づく
老若男女、小さいお子さんも登っていました

障染<煩悩作用>を「垢」、此れを翻ずるを「浄」と名づけ、<その垢浄が>相広ずるを「増」、此れを翻ずるを「減」と名づくとして、これらの相対をもとに「空相」について解説されます
白のシャクナゲ、やがて散っていくのでしょう

凡夫が構想する誤った認識の「遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)」と、独立ではなく縁起による存在の「依他起性(えたきしょう)」の本性は、都無<すべて無>と仮有<仮の存在>と定義され、これによって「諸法は空相にして」と説かれます
昔の人々は現代人より数十倍信仰心が篤かったように思います

そして「空相」という観点からすれば、一切諸法の相<すがた>はすべて「生」でもなく「滅」でもない「不生不滅」であるということです
石垣の上に櫓が建てられ、その上に堂宇が載っている

仏教を難解にする教えの一つに、仏<無為>と凡夫<有為>という立場の違いがあります
清水寺や円教寺とおなじ造り

つまり、我々凡夫が置かれた縁起の世界<有為法>から見れば、自己を取り巻く現象は生滅していると観るのが正しい認識ですが、「空」が顕現された無為なる仏の世界から観れば、諸法はすべて「般若波羅多心経」に説かれる「六不」に置き換えられるというもので、これについて慈恩大師は「皆、事<現実世界の諸事象>と理<普遍的真理>との体相<実質とスガタ>が別なるに由るが故なり」と述べています
奥の院を守っているかのようです

つまり、有為法<現象世界の認識>に還流すれば「生」と「滅」が有り、またその中で「垢」や「浄」といった分別を起こし、さらに仏道の悟りの段階においても有為法と無為法とが互いに「増」・「減」すると捉えるのですが、こうした我々の認識は空の真理からすればすべて「遍計所執性」による妄執で実体のなきものと解説しています
健気に咲くクリンソウ

でも主役はシャクナゲです