かゑらじとかねておもえば梓弓なき数に入る名をぞとゞむる・・・楠正行
今度の戦いは生きて帰れぬ身であるが故に亡き人の仲間入りをする名前を残して出発します
如意輪寺南門(4月10日)

如意輪寺は中千本の桜樹の間、松柏峰に連なる山腹にあります


元弘3年(1333)、後醍醐天皇は北条幕府を倒し建武の中興成し遂げたが、足利尊氏が離反し、争いのため京を逃れた


しかし、延元4年(1339)病床につかれ、「身はたとえ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と、都をあこがれつつ崩御された(51歳)


後醍醐天皇の御陵(塔尾陵)が境内にある
4月10日、枝垂れ桜は終わっていましたが、西側の桜が残っていました


正平2年(1346)、楠木正行隊143人が四条畷の決戦に向かうにあたり、吉野皇居に今生の別れを告げ、先帝(後醍醐天皇)の御陵に参拝の後、如意輪堂に詣で、髻を切って佛前に奉納、過去帳に姓名を残し、最後に鏃をもって御堂の扉に書き残したのが冒頭の辞世の句である(23歳の若さであった)
期待していた枝垂れ桜はすっかり花を落としていました


その扉は当寺の宝物殿に保存されている


如意輪寺では桜葬(桜の木を墓標として遺骨を直接土に埋め、石碑を建てない自然葬)を受け付けています
境内に残った人たちで集合写真


満開の桜の下で眠りたいと希望される方


お墓を継承される方がいない方


子孫に墓地の管理、供養等の負担をかけたくないとお考えの方


西行が詠んだ歌にあるように、最後を自分らしく締めくくりたいとお考えの方にお勧めします、とありました
いい事業だと思います