想像を遥かに超えた花が咲く・・・奈良新聞俳壇より
人は求道の精神を持つ
30歳で見えなかったことが、40歳で見えてくる
人の輪は素晴らしい
うららかや夢の続きを追ひかける
50歳で考えられなかったことが
60歳で考えられてくる
桜の輪も同様に素晴らしい

客を待つ趣向こらせし桜茶屋
そうした時に、人は人生を考える
その人とその桜の融合している様もっと素晴らしい

寛ぐや齢を忘る春日より
真剣に生死を考える
日常性の中に非日常性を見て、何かを求めたいと思う
ミツバツツジも負けじと咲き誇る

芽吹山風が言の葉紡ぐごと
だが、日常性の中でそれは多忙に紛れて虚しく過ごしてしまうのだ
桜に見られて恥じない自分であるか問いかけながら歩くのも良い

うぐいすに足も軽やか里の道
仏教に聞・思・修の🈪慧という麗しい術語がある
悟りに導く智慧を段階的に3つに分類する
教えを聞いて生ずる智慧を聞慧という
桜の下で見惚れるHhさん

ここから教えの道理を思惟して生ずるのが思慧
そこから教え通り実践して生ずるのが修慧である
花に思いを寄せるKm氏

限りなく聞・思・修を反復して悟りの実現があるという思想で、基本は聞くことから始まる
聞くことほど大切なものはない

仏法聴聞:「経」に「聞」というのは衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり

聞くことの神髄は、「歎異抄」では、親鸞においては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよき人の仰せをかぶりて信ずるはかに、別の子細なきなり。と伝承された

この一句の中に、聞くことの大切さと重要性を伝えられている
法然上人の言葉を拠り所にして、すぐれて広く深い仏願の本位に参じられたのである

