蘇我氏の台頭
仏教をいち早く受容した蘇我氏は、物部氏と勢力争いを続ける一方、複数の娘を天皇に嫁がせるなど、天皇家との結びつきを強固にしていきました
桧原神社境内注連縄

蘇我馬子が物部守屋を滅ぼすと、その後は蘇我氏に太刀打ちできる氏族もいなくなり、政治への介入が目立つようになります
狭井神社山門  蘇我馬子の娘・刀自古郎女は聖徳太子に嫁ぎ山背大兄王を産んでいる。聖徳太子の父は用明天皇、祖父は欽明天皇
三島由紀夫書「清明」前で解説を聞く  聖徳太子は智・義・信・礼・仁・徳に大小を付け冠位12階とした。また官位を色で区別した
獣避けフェンスで風景が台無し  憲法17条:一に曰く、和を以ちて貴しとし、さかふること無きを宗とせよ。人皆党有り、亦達(またさと)る者少なし。是を以ちて、或いは君父に順はず、あるいは隣里に違ふ。然れども、上和らぎ下睦びて、事を論ふに階ふときは、事理自ずから通ふ。何ごとかならざらむと(抜粋)
玄賓庵石庭  崇峻天皇が蘇我馬子に殺害され皇位が空いていましたが、臣下から強く推挙されて推古天皇が皇位を引き継ぎ、厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子に立てて政務の一切を任せました
玄賓庵石垣  太子は、能力に応じて個人に対し位を与え、冠の色の違いで位を表す冠位12階の制度を設け、臣下としての道徳的な心構えとして憲法17条を定めるなど、天皇に従い仏教を尊ぶ国づくりを進めました
桧原神社前  蘇我馬子とともに、「天皇記」や「国記」、諸氏族の「本記」など、系譜や治績をまとめた歴史書を編纂されたとされています
桧原神社拝殿  聖徳太子はお寺の開創にも関わっていますが、生誕は飛鳥村にある「橘寺」、不老不死の果物・橘の実に由来する。境内には善と悪を表すという「二面石」がある
大美和の杜  推古天皇9年(601)、聖徳太子は飛鳥から斑鳩の地に移ることを決め、斑鳩宮を造営し、605年に遷った。法隆寺はこの宮に隣接して創建されました
大和三山・金剛葛城山系  
奈良県・名所図会参考