紅梅にほしておく也洗ひ猫・・・小林一茶
Kkさんの腕の中で夢心地

 仏教伝来:欽明天皇は百済の聖明王に任那の復興を命じ、軍勢を遣わし武器を送って百済を援助しました
 そのような中で聖明王は天皇のために丈六の仏像を造り、552年には釋迦仏の金銅像・経論などを献上して仏法の流布と礼拝の功徳を伝えました
金屋地区の枝垂れ梅
  天皇は「これほど素晴らしい教えは聞いたことがない」とたいそう喜び、臣下に「献上された仏像は、いまだかって見たことがないほど荘厳で美しい。これを礼拝すべきかどうか?」と訊ねました
すると、蘇我大臣稲目が進み出て「諸外国はこぞって礼拝しているといいます。日本だけが背くわけにはいきません」と言いました
喜多美術館付近 いっぽう、物部氏と中臣氏は「日本には、これまでお祀りしてきた八百万の神々がいます。それを改めて新しい外国の神(仏)を拝んでは、国神の怒りに触れましょう」と言い、真っ向から対立しました
金屋の石仏前
  天皇は蘇我氏に仏像を預け、試しに礼拝させることにします。蘇我氏は喜んで、邸宅を寺に改装し、仏像を安置して拝みますが、まもなくして国中に疫病が流行り、多くの民が命を落とします
金屋の石仏(釈迦如来&弥勒菩薩)
 
 物部氏と中臣氏は「私たちの意見を聞かなかったからこのようなことになったのです。元に戻しましょう」と言って、仏像を難波の堀江に流し捨て蘇我氏の寺に火をつけて、すっかり焼いてしまいました
喜多美術館
  この崇仏・廃仏論争は蘇我稲目・物部尾輿から子の蘇我馬子・物部守屋の代に、そのまま持ちこされ続きました
寝る子はよく育ちます
  欽明天皇は両者に意見を聞き、受容して蘇我氏に仏像を預けた
平等寺への階段
  敏達天皇の時に寺と仏像を焼き、尼を捕えてむち打ちにしました
平等寺本堂
  用明天皇は仏法に帰依しようと思うと言われ、蘇我馬子は詔に従って「天皇をお助けするべきです」と、物部守屋は「反対!仏教は排斥すべき」と
山耀会のアイドルでした
  そこで、蘇我馬子と物部稲目の全面戦争になり、蘇我馬子が勝利しました
仏教が伝来した後、受容されるまでに困難があったようです
三輪大社大杉
  なら記紀・万葉「名所図会」参考