みずがきや松の梢に見る鷺の白きは神の恵みなり
2日仕事を終え帰宅途中、西大寺で下車
大極殿のある佐紀町まで夜道を歩きました
 
旱魃や悪疫(天然痘)の流行に心を痛めた聖武天皇が、国家の安泰を願って大仏造立を決意された時の勅使にあるお言葉
 モシ更ニ人アッテ、一枝ノ草一把ノ土ヲ持テ像ヲ助ケ造ラント願ウアラバ、恣(ほしいまま)ニ之ヲ聴(ゆる)セ
 訳:たとえ一枝の草、一握りの土であろうと、それを喜捨しようという心がけがあれば、その心のままにどんどん協力するがよい
 時の絶対的権力者でありながら、それは何と正直な言葉であったことでしょう。そして、そんな天皇の悲願に応えた行基と、多くの民衆の心に思い至るのです
増長天像と共に
  仏教用語でいうところの「知識」、それぞれが持てるもの(能力や財力)で自発的に仏に奉仕するという意味の知識の集積が、正に聖武天皇の訴えそのままに、あの巨大な廬舎那仏の造立を成し遂げたのでした
 その後、平重衡、松永久秀の兵火によって2度焼け落ちますが、重源や公慶が修復と復興に奔走し、民衆の心を動かし大仏はその偉容を今に伝えている
奈良交通の皆さんの手により曳かれました
  武天皇の厚い思いが重源へ、公慶へ受け継がれ、勧進への不撓不屈のエネルギーが民衆をも突き動かしたのです
実行委員長・荒井正吾知事が「来年もより充実した気持ちの良い祭りにしたい」と挨拶
  赤文字は住田幸一氏「大和路ろまん文庫」より抜粋
三徳山下山ブログは、大立山終了次第再開いたします