ふな寺にのり浮かぶなり夜もすがら声を帆にあげ読みすましつつ・・・夫木集
ブッダが最も死を身近に感じられたのはたのは龍ノ口の御法難です。この時の文章が遺されています
12:00分、下山開始
下山が苦手のThさんを2番手につけました


今夜頸切られへまかるなり、この数年が間願いつる事これなり、此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹に捉れ、鼠となれし時は猫に食らわれき、或いは妻に、子に、かたきに身を失いし事、大地微塵より多し
アカガシが多く見られました
法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生まれて父母の孝養心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、云々 ・・・
大舟寺跡分岐までは急な下り坂で注意が要ります
私たちは何のために、ご信心しているのでしょうか。なぜ、ご奉公させていただくのでしょう。有限の命、逃れられない人生苦、老い、病、死、これらを前にして、強く、明るく、正しく、偏らず、空回りせず、縛られず、縛らずに、今回生きられるようになることが、私たちがご信心をさせていただく本当の目的であり、本当の御利益なのです 
巧みにストックを操るMyさん
 12:15分、分岐のコル530mまで下山
 大舟跡500m
寺伝によれば上代敏達天皇の御代(およそ1400年前)、百済の日羅上人が開創し、後に空海が来て「大舟寺」と石に刻み、ここに七堂伽藍を建立した

  境内跡
江戸時代に黄檗宗の別伝が、大船山中は霧が深くて湿気が多く、建造物が荒れていたので、麓の中村の集落に移築した

  町石は13基(指定文化財)あり、今も参道に残っている卒塔婆で正面の線彫り刻み、その下に「丁」目が刻んである
室町時代の建立と思われる

  青文字は、妙深寺住職・清潤氏「今年こそ、今回こそ」より抜粋