衾道(ふすまぢ)を引手の山に妹置きて山路を行けば生けりともなし・・・柿本人麻呂
引手の山は竜王山と言われている
この歌は、柿本人麻呂が妻を亡くした後に涙を流し、嘆き悲しんで詠んだ歌群の中の一首
衾とは、寝る時に体の上に掛ける長方形の寝具のことで、衾陵のある天理市中山町の道を「衾道」と呼んだ

奥の院「不動明王石像」分岐
ヒノキ葉に浮かぶ黄葉
癒されました
緩やかな階段が続きます
階段に整列です
緑と歴史のビューポイント看板
北城跡と南城跡との分岐
紅葉をバックに撮りました
林道舗装道を北へ下り北城跡へ向かいます
ここで馬に水を与えたので馬池と言われています
龍王山城跡は、中世の豪族十市氏が築いた大和を代表する山城の跡
天文年間(1532~55年)、十市遠忠が拠を構え、十市城とも呼ぶ
引手の山は竜王山と言われている
この歌は、柿本人麻呂が妻を亡くした後に涙を流し、嘆き悲しんで詠んだ歌群の中の一首
衾とは、寝る時に体の上に掛ける長方形の寝具のことで、衾陵のある天理市中山町の道を「衾道」と呼んだ

奥の院「不動明王石像」分岐
ヒノキ葉に浮かぶ黄葉
癒されました
緩やかな階段が続きます
階段に整列です
緑と歴史のビューポイント看板北城跡と南城跡との分岐
紅葉をバックに撮りました
林道舗装道を北へ下り北城跡へ向かいます
ここで馬に水を与えたので馬池と言われています
龍王山城跡は、中世の豪族十市氏が築いた大和を代表する山城の跡
天文年間(1532~55年)、十市遠忠が拠を構え、十市城とも呼ぶ