現在の十三重の塔は千五百三十二年に再建されたもので、木造の十三重の塔では世界で唯一現存するものである

 鎌足の木像を安置する本堂
 赤と黄と緑が混ざっていて見頃がよく分からない
 平安時代には、同じ大和の国の藤原氏縁の寺院である興福寺とは争いが絶えなかったという
 鎌倉時代から室町時代にかけて領地などを巡り、多武峰妙楽寺側の十市氏、越智氏と興福寺側の楢原氏、布施氏、北隅氏らと小競り合いを繰り返していた
 1173年には興福寺衆徒勢の焼打ちで十三重の塔が消失している
 1585年、豊臣秀吉により郡山城下に遷座することを厳命される
 1590年に帰山を許された
 その後、徳川家康により復興される
 明治2年、神仏分離令により僧徒が還俗し、談山神社と改称される
 近代社格制度のもと、別格弊社に列した
 明治の廃仏毀釈の際に寺を廃し神社のみとなったが、建物は寺院建築をそのまま使用しているため、独自の雰囲気を残しています