不撓不屈の岳人と呼ばれた浜坂出身の加藤文太郎は、この辺り一帯を兵庫アルプスと呼んだらしい

 兵庫白馬、兵庫乗鞍など
 氷ノ山山頂を兵庫槍と名づけ山々を展望したとも
 また、山頂では自分の名前を書いた小さな杭を打ち込んだとも
 文太郎は毎年のように冬の氷ノ山を登っている。最後は昭和8年2月
  生まれながらの単独登山家
 「今日は元気だ、町の人々は僕の最も好きな餅を腹いっぱい食い、嫌になるほど正月気分を味わっていることだろう・・・」
 「それだのに、それだのに、なぜ僕は、ただ一人で呼吸が蒲団に凍るような寒さを忍び、凍った蒲鉾ばかり食って、歌も唄う気がしないほどの淋しい生活を、自らもとめるのだろう・・・」
 山登りせんと気分が落ち着かない
 昭和10年1月結婚するも翌昭和11年1月、北アルプス天上沢岩小屋の25m下方の沢で遭難死する(満31歳)

10:29分、下山開始
 冬山で何度も何度も生還し「不死身の男」と称されたものの、初めての2人登山で、猛吹雪の中、寒気と飢えで倒れた同行者の死を確認し、その死体の上に2本のピッケルを立て、急を告げようとした途中での死でした  無念の死だったと思います