満開の西行桜(三昧堂前)
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ・・・西行

高野山に西行直筆で下記の歌を残しています
荒野の籠りたりけるころ
草のいほりに花の散り積みければ
散る花の庵の上をふくならば
風入るまじくめぐりかこはん
東塔:1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河天皇の御願により創建
尊勝佛頂尊と不動明王・降三世明王を祀っている
桜の花びらが風に吹かれて、草や木で屋根や壁を作った仮小屋である庵室に花びらが舞い落ちて来たならば、またその花びらが飛んでしまわないように、周りを囲んでしまいたい
三昧堂&西行桜
とある朝、閑居の静けさを破られたくない西行は、花見を禁じていた
西行は桜を愛でる人々の志に免じて、庭へ招き入れた
しかし、「花見に人々の集い来ることこそ桜の咎なのだ」と
苛立と気味に西行は、1人嘆くのであった
月夜となり、桜の下で一夜を眺め明かす西行と人々
舞台の進行は、次第に夢世界へと転換してゆく
桜の下に白髪の老人が1人現れた
すでに夢の中、老人は西行の言う「桜の咎とはなにか」と咎める
そして、「世を憂しと見るのは人の都合であり、草木である桜に憂き世の咎はない」と述べる
西行は問う。「老人は桜の精なのか」
老人は問われるままに老いた桜の精であることを明かした
花の精が咲き誇り、また散るまでの有様を舞を交えて語る
花の命を惜春に言い添えて、夜明けとともに跡なく消えてゆくのだった
・・・西行桜能より
西行は久安5年(1149)32歳の頃から約30年間高野山に草庵を結びました
高野山では大会堂、三昧堂の造営、移築に総指揮を取り尽力されました
三昧堂移築に際し、西行よりお手植えされたのが西行桜の由来です
大会堂(写真なし):1175年皇女・五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建
三昧堂(写真なし):928年、金剛峰寺座主済高大僧都の創建
1177年西行が現在地に移建した
西行桜の説明をする僧侶
声明を深く見つめ、花や月をこよなく愛した西行
山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ
手前は愛染堂:1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため不断愛染護摩並びに長日談義を修する目的で建立されました
西行は22歳で妻子と別れ出家した
極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号とした
世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬひとをぞ捨つるとはいふ・・・西行
大日如来(金剛界)真言:オン バザラダトバン
願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ・・・西行

高野山に西行直筆で下記の歌を残しています
荒野の籠りたりけるころ
草のいほりに花の散り積みければ
散る花の庵の上をふくならば
風入るまじくめぐりかこはん
東塔:1127年醍醐寺勝覚権僧正が白河天皇の御願により創建
尊勝佛頂尊と不動明王・降三世明王を祀っている
桜の花びらが風に吹かれて、草や木で屋根や壁を作った仮小屋である庵室に花びらが舞い落ちて来たならば、またその花びらが飛んでしまわないように、周りを囲んでしまいたい三昧堂&西行桜
とある朝、閑居の静けさを破られたくない西行は、花見を禁じていた西行は桜を愛でる人々の志に免じて、庭へ招き入れた
しかし、「花見に人々の集い来ることこそ桜の咎なのだ」と
苛立と気味に西行は、1人嘆くのであった
月夜となり、桜の下で一夜を眺め明かす西行と人々
舞台の進行は、次第に夢世界へと転換してゆく
桜の下に白髪の老人が1人現れた
すでに夢の中、老人は西行の言う「桜の咎とはなにか」と咎める
そして、「世を憂しと見るのは人の都合であり、草木である桜に憂き世の咎はない」と述べる
西行は問う。「老人は桜の精なのか」老人は問われるままに老いた桜の精であることを明かした
花の精が咲き誇り、また散るまでの有様を舞を交えて語る
花の命を惜春に言い添えて、夜明けとともに跡なく消えてゆくのだった
・・・西行桜能より
西行は久安5年(1149)32歳の頃から約30年間高野山に草庵を結びました高野山では大会堂、三昧堂の造営、移築に総指揮を取り尽力されました
三昧堂移築に際し、西行よりお手植えされたのが西行桜の由来です
大会堂(写真なし):1175年皇女・五辻斎院頌子が父の鳥羽上皇追善のため創建
三昧堂(写真なし):928年、金剛峰寺座主済高大僧都の創建1177年西行が現在地に移建した
西行桜の説明をする僧侶
声明を深く見つめ、花や月をこよなく愛した西行山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ
手前は愛染堂:1334年後醍醐天皇の勅願により天下泰平を祈るため不断愛染護摩並びに長日談義を修する目的で建立されました

極楽浄土が西方にあることから「西行」を法号とした
世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬひとをぞ捨つるとはいふ・・・西行
大日如来(金剛界)真言:オン バザラダトバン