戦没者墓苑静かに花の雨・・・日経俳壇
弘法大師が入定しいまも祈りを続ける御廟へと続く約2kmの参道に入れば空気は一変する
樹齢千年もの杉木立の中、苔むした墓石が20万基あまり並ぶ空間は、まるでお大師様の祈りの深さに触れるような神聖な空気に包まれる
<満洲高野開拓団犠牲者の碑>
 父も満州義勇開拓団に参加した
母の葬儀に一時帰国していたのでシベリア抑留の難を逃れた
郷里から参加した多くの仲間が殉死しました
父も、石川県満蒙開拓記念史には死亡者として名が連なっている

  満蒙開拓事業は、昭和7年より20ヶ年100万戸移住計画に基づき、民族共和の理想現実と日本民族の発展を目指した国策であった
 開拓者たちは、現地の苛烈な気候風土を克服し、あらゆる困苦欠乏に耐えながら営々と未墾の沃野を拓き着々とその成果を挙げつつあった
 昭和20年8月終戦によって、その雄図は挫折したのみならず、異郷で遭遇した開拓者の末路はあまりにも悲惨であった
 戦火に追われ混乱する治安の中で一家は離散し、母子相擁して命を絶つ者、逃避放浪の末生死不明の者、ひたすら帰国を夢見つつも飢餓と病魔に斃れた者、多くは14~15歳の若者でした
父は13歳でした

  爾来70年、辛うじて生還をした拓友たちが同志を募り多くの賛同を得て建立されたのでしょう
 悲運の肉親同朋を偲び、諸霊の冥福を祈願し、われわれもまたこの碑に集い、祖国の永遠の平和と弥栄を冀たのでしょう
 奥の院参道には、海軍飛行予備学生戦没者慰霊碑、鶴田浩二の墓、空挺部隊将兵の墓、海軍整備練習生)慰霊碑、独立工兵戦没者慰霊碑、山砲兵連隊慰霊碑、ボルネオ戦没者慰霊碑、ビルマ戦没者納骨塔、飛行隊供養塔、陸軍士官学校慰霊塔、近衛兵戦没者慰霊塔、潜水艦先師慰霊碑など第二次世界大戦関係者の慰霊碑が多くあります
 わが国百年の交流発展は世界史上の奇跡と称せられるが、その繁栄の陰に幾万の同朋が礎石となって散華されたことを忘れてはならない
 祖国隆昌の願いもむなしく勇士は往きて遂に還らず
英霊の冥福を祈り、世界永遠の平和の砦たらんと期す
乞う、友よ故山に還りて安らかに眠り給え

  国を、親を思い、かつ国の未来を安じつつ一身を捧げられ、かつ平和を念じつつ往かれました英霊の皆さま、その拓魂は新しい意気となり国の再興を成し遂げることが出来ました
今後も人類平和を念じ、民族の発展を見守り下さい・・・英霊の碑文参考
奥の院口にて集合写真
ここで車で来られたT氏・Y氏・K氏は離班されました