花の塵花の窟の中にまで・・・日経俳壇
  14:52分、奥の院参道に出ました
  
 現代のような交通機関のなかった時代には難航苦行であったが平安時代中期以来、法皇・上皇・摂政関白 はじめ、貴賤衆庶が集まった この高野詣での功徳を説いて、諸国から参詣者を誘引したのは高野聖である
しかし一方で山岳霊場として女人禁制であり、高野七口には女人堂があったため、石童丸説話のような哀話を生むことになった


  石童丸の父は石堂丸が生まれる前に出家するため京へ行きました
石童丸はどうしても父に会いたく母と二人で京へ行くことにしました

  石童丸の姉は手作りの衣を父にと持たせました
すでに父は高野山に移っていました
高野山は女人禁制のため、1人で高野山に登り、父を探しました

  親切なお坊さんが父は死んだと教えてくれました
石童丸は山から下り、母にそのことを伝えると母は嘆き亡くなりました
再び高野山に登り、親切なお坊さんに衣を上げて、母を弔ってもらいました

  苅萱関に戻ると姉も死んだばかりでした
1人になった石童丸は高野山に登り、親切なお坊さんに弟子にしてもらいました
親切なお坊さんは本当は石童丸の父で、正体を知られたくありませんでした
石童丸の父は長野の善光寺へ去って行きました(櫻井裕子作成)