4月19日、予定通り10時に奥の院前に着きました
集合時間に間に合わなかった二人には別行動をとっていただきました
元報道マンのT氏は我々に遅れること約40分、奥の院~摩尼山~楊柳山の2山で打ち上げ、金剛峰寺~壇上伽藍を見学して帰られたそうです
本隊に合流することはありませんでしたが、この時期タイムリーな企画でした、とご連絡いただきました
医療関係の仕事をされているMさんは、奥の院、宿坊街、金剛峰寺、根本大塔を参拝されて、一足早くに帰阪されました
また、雨の予報で当日欠席2名、前日欠席3名、結局降らなかっただけに残念に思っております

満開の枝垂桜がお出迎え

高野山を開いた弘法大師・空海は、唐の都・長安に渡り真言密教の教えを受けました
わずか2年でそのすべてを受け継ぎ、密教の宇宙観を表す両界曼荼羅や、たくさんの法具、経典などを持って帰国
弘仁7年(816)に国家の鎮護を祈り、僧侶を育成するために標高およそ900mの高野山の地に修禅の道場を開きました
平成16年(2004)に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました紅白競演
今年は開創1200年を迎えています
これを記念し、4月2日から5月21日までの50日間、「高野山開創1200年記念大法会」が執り行われています
火災で焼失していた中門が172年ぶりに再建し、お披露目されています
奥の院口・一の橋から御廟までの2kmの参道には何百年も経た老杉が聳えています
木々の間には武将から庶民まで20万基を超す墓碑が並び、高野信仰の篤さをうかがわせます
空海は高野山の庶務を担う政所を麓の九度山に設けました九度山の地名の由来は3つあります
1つは、古くから瓦職人が多く、かまどを意味する竈(くど)から起こったという説が有力
2つめは、地元の槇尾明神の祭礼が年に9度あった。空海が明神を詣でて9度目で会えたという説
3つめは、地元の人たちが、大師が月に9度、麓の慈尊院に住む母の玉依御前(たまよりごぜん)を訪ねたから、という説が浸透しています