秋山の木の下隠り行く水のわれこそまさめ思ほすよりは・・・鏡王女
比叡山、多武峰と相攻伐し、その間兵火に罹ることもなく近畿最大の勢力を誇った

 しかし享保2年(1717)、金堂、西金堂、講堂、南円堂が罹災して伽藍の中枢を失い、明治に入りて諸制度が一変して衰退した
散り往く桜花
  最大の勢力を誇った嘉吉元年(1441)に記録せる「官務牒疏」によれば、山城、大和、近江、摂津、伊賀の五国に二数十の社寺を統御していた
 興福寺の五重塔は奈良の象徴でもある
 釈迦の舎利を納める墓標でもある
 天平二年(730)、創建者・藤原不比等の娘・光明皇后が建てました
 五回の消失・再建を経て、応永33年(1426)に再建された日本で2番目に高い塔
 創建当初の高さは約45mで、当時日本で最も高い塔であった