月ヶ瀬を梅の名所として、初めて世に紹介されたのは明治9年(1772)の「翁草」であるが、

その後、特に天下に広く月ヶ瀬梅林の名を有名にしたのは何といっても斉藤拙堂の「梅渓遊記」である
拙堂の名は正謙、江戸で昌平蕡に学び、古文に通じた伊勢津藩の学職についた儒学者である
文政13年(1830)2月、多くの弟子友人と共に月ヶ瀬に来遊
「梅渓遊記」と七言律詩十首を作した
その後、子の正格に命じて「月ヶ瀬記勝(乾坤)」を編せしめた
乾篇には拙堂の紀行文を、坤篇には頼山陽、篠崎小竹、染川星厳など30名近い著名大家の月ヶ瀬を称賛した詩文を収録紹介している
この「月ヶ瀬記勝」が発表されて以来、多くの漢学者は勿論、
明治に入ると政治家、軍人等相次いで来村、天下に知られるようになった月ヶ瀬橋を見下ろす
梅の古木が多い
長閑な日本の原風景