月ヶ瀬梅渓を天下に知らしめた頼山陽
 
 天保2年(1831)、月ヶ瀬梅渓を訪れた山陽は七言六絶句作詞

末尾を「非観和州香世界 此生何可説梅花」と結び、その美しさを絶賛しました
  訳は、大和の月ヶ瀬梅渓、香世界を見ずして人は梅花を説くことは出来ないよ
 これにより、月ヶ瀬梅渓は天下の名勝として不動のものとなり文人墨客が競って訪れるようになりました
 山陽が讃えた月ヶ瀬の美しさは現在も変わることなく早春の楽しみを人々に与えています
 頼山陽は、幼い頃から学問を好み、漢詩文、歴史、書、南画など多方面にわたり、同世代や、後世の人々に大きな影響を与えました
 中でも代表作である「武家の時代史」「日本外史」は幕末、明治から昭和戦前期まで広く愛読されました
 
 また、詩吟でなじみ深い「鞭声粛粛夜河を過る」で始まる漢詩「題不識庵撃機山図」の作者としても有名です


 道幅が狭く歩道がないので二列は危険です!
 お地蔵さんと月ヶ瀬橋
 イノシシが土手を荒らしています