百伝(ももづた)ふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ・・・大津皇子
葛木倭文(しとり)神社
祭神は倭文の祖・天羽雷命

ももづたふ磐余の池に鳴いている鴨を、今日だけ見て死んでゆくのか
葛木二上神社本田への階段
姉・大伯皇女の目は、間道の木々を踏み分けて一人とぼとぼ帰ってゆく弟の姿が見えるようであったのだろう境内で歴史談義に花が咲く
天武天皇が亡くなって1ケ月も経たないうちに、大津皇子は謀反ということで捕えられ、一切の抗弁も許されぬまま、死ななければならなかった二上神社の祭神は豊布都霊神、又の名を建御雷神
朱鳥元年(686)年10月2日のことである二上神社・倭文神社・掃守神社の社務所
その日、大津皇子は数十人の兵士に囲まれ、屋形を出、磐余の訳語田(おさだ)の屋形に連行された
豊布都霊神と大国主命は国護りの談合の結果、その御子・建子名方神と海辺で力競べの角力を取り、子の難問を解決された神
磐余の池の傍を通るとき、鴨の鳴く声を聞いたであろう
この角力は日本の名勝負の第一に挙げられています
この二神を総じて、文と武の神、縁結びの神として崇められています
いま、父・天武天皇の殯が盛大に行われているが、大津皇子の死は孤独な死である。誄(しのび)ごとをしてくれる者もいない
豊布都霊神と大国主命は国護りの談合の結果、その御子・建子名方神と海辺で力競べの角力を取り、子の難問を解決された神
磐余の池の傍を通るとき、鴨の鳴く声を聞いたであろうこの角力は日本の名勝負の第一に挙げられています
この二神を総じて、文と武の神、縁結びの神として崇められています
いま、父・天武天皇の殯が盛大に行われているが、大津皇子の死は孤独な死である。誄(しのび)ごとをしてくれる者もいない 
