大津皇子の墓
臨終一絶
金烏西舎に臨(て)らひ
鼓声短命を催(うなが)す
泉路賓主無し
此の夕家を離(さか)りて向かふ
 日は西に傾きて家屋を照らし、夕刻を告げる鼓の音は、さながら自分の短命をうながすようだ
死出の道には客も主人もなく、自分一人である
この夕べ自分は家を離れて、ひとり死出の旅路に向かうのである
 

翌10月3日、鵜野皇后により死を賜り、首をくくられて死んだ。若干25歳
 
 大津の死を聞き、妃の山辺皇女は黒髪を振り乱して、裸足で刑場まで走り、殉死した
御陵の前で元報道マンのT氏が分かりやすく解説して下さいました
  弟の大津皇子が刑死して1ケ月半後、大伯皇女が伊勢神宮の斎宮の任を解かれて飛鳥に帰ってきた
皆さん、真剣に聞き入っていました
木立の向かいにうっすら見える山影は、葛城山・金剛山
  神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに・・・大伯皇女
当会の顧問・H先生
  神風の伊勢の国に居ればよかったのに、なんで私は大和に帰って来たのだろう
最愛の弟も、もうこの世にはいないのに
14:00、雄岳下山開始
  大津皇子が死んでから、しばしば天地を揺すぶるような地震が起きたという
檜林群生
登山道は整備されています
  馬来田(まくだ)の池のほとりに大津皇子の墓があったが、鬼火が出たり、夜に雷が鳴り続いたと言われている
 誰からとなく言い伝えられる風聞に、鵜野皇后も気にして、大津皇子の墓を二上山に移すよう指示した
「遊歩」参考