我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我が立ち濡れし・・・大伯皇女
(あの人を大和に帰し見送ろうとして、夜も更けて暁の露に私は立ち濡れたことだ)
 
13:25分、雌岳を下る
 
 日本書紀によると、天武天皇が亡くなったのが9月9日、その殯の行事が始まった9月24日に大津皇子の謀反が現れ、10月2日に大津皇子他30数人が逮捕された
 
 大津皇子が捕らえられたという知らせは、忽ちその日のうちに人から人に伝わり、それらの人々から、皇子のための助命嘆願をしなければならぬという声が起こりつつあった
馬の背
 
 鵜野皇后は、時をおけば自らに不利になることを察知し、助命嘆願を阻止するためには、処刑を直ちに執行しなければならないと考えた
二上山は馬の背を挟んでの双耳峰である
参加率抜群のO・S氏
 
 処置は敏速であり、冷酷無惨である
一緒に捕えられた30数人に対しての刑罰は軽いのに、大津皇子一人だけが逮捕の翌日に死刑されている
 
 天武天皇が世を去った直後、幼くして離れ離れになっている姉・大伯皇女(伊勢神宮の斎宮)に逢うために伊勢に旅に出た
 

この旅はただ一人、間道伝いに伊勢に急いでおり、鵜野皇后のワナにはめられて、謀反の罪をきせられて殺されるかもしれない、という死の影が見えていたのではなかろうか
13:44分、雄岳山頂

13年間も逢うことが出来なかった姉と弟は夜を徹して何を話し合ったのだろうか
気温は6℃を指していた

その内容を知るすべもない
集合写真
この日は入山料集金人さんはいませんでした


だが、大和飛鳥へ向けて発ってゆく弟の後ろ姿に、死の影をみてとったのだろう
葛木二上神社
 
  
  「遊歩」参考