あしひきの山のしずくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしずくに・・・大津皇子
大津皇子というのは、天智天皇(中大兄皇子)の弟大海人皇子の第三子であった
かなり堪えているようです
大海人皇子には二人の妃(大田皇女、鵜野讃良皇女)があり、どちらも天智天皇の皇女であった
祖父であり、伯父にあたる天智天皇は、早くして世を去った大田皇女をあわれに思い、大津皇子の姉の大伯皇女と大津皇子を引き取って育てたというあともう少し
鵜野皇女が産んだ草壁皇子に較べて大津皇子は聡明であった父である大海人皇子に愛され、期待され、祖父の天智天皇に愛されながら育った大津皇子は、次第に悲劇への道を歩きはじめることになる
天智天皇と大海人皇子とは、長い年月協力して政治の改革を成し遂げてきたが、近江へ遷都して間もないころから、二人の間に冷たいものが吹き始めた
天智天皇は、天皇の第一王子に皇位を譲るため大友皇子を重用、大海人皇子は吉野に入って出家することを明らかにして吉野へ退いたが、大津皇子は人質として近江に置かれることになった万葉の森を過ぎ雌岳の下にあるベンチで休憩
天智天皇の没後、大海人皇子と大友皇子が皇位を争って戦ったのが壬申の乱である
大津皇子の近江脱出を助けたのが舎人の礪杵道作(ときのみちつくり)という
壬申の乱で勝利を得た大海人皇子は飛鳥の浄御原に宮を築いて天武天皇となった
大海人皇子に付き従い、近江から吉野、飛鳥へと苦労を共にした鵜野皇女は、皇后として天武天皇を支えた登ってきた稜線を振り返る
「遊歩」参考