能登は貧しい半農半漁の村であった
戦前、父は満蒙開拓少年義勇隊として満州に渡った
祖父は成功して我々を呼んでくれ、と言ったか、言わなかったか?
日本は1955年頃から高度成長をはじめ、68年には西ドイツを抜き、米国に次ぐ世界2位の経済大国になった

一方で貧乏暮らし時代にあった「生きる指針」が忘れ去られていく
名舟集落
やがてバブルがはじけ、デフレに転じ、さらに世界金融危機の大波にさらわれ、景気暮らしは崩壊した
ヤブツバキ
気づいてみると、少子高齢化が進行し、1人暮らしに直面していた
奥津姫神社鳥居
しかも、1人暮らしの生き方の指針は示されていない
敗戦直後の日本人の在り方を顧みるところから再出発する以外にない、と思う
名舟港、子供の頃は築港はなかった
貧乏暮らしは一つの生き方を象徴している
90歳の師が今も漁に出ている
読売新聞・戦後70年想う「山折哲雄さん」より
戦前、父は満蒙開拓少年義勇隊として満州に渡った
祖父は成功して我々を呼んでくれ、と言ったか、言わなかったか?
日本は1955年頃から高度成長をはじめ、68年には西ドイツを抜き、米国に次ぐ世界2位の経済大国になった

一方で貧乏暮らし時代にあった「生きる指針」が忘れ去られていく
名舟集落
やがてバブルがはじけ、デフレに転じ、さらに世界金融危機の大波にさらわれ、景気暮らしは崩壊したヤブツバキ
気づいてみると、少子高齢化が進行し、1人暮らしに直面していた奥津姫神社鳥居
しかも、1人暮らしの生き方の指針は示されていない
敗戦直後の日本人の在り方を顧みるところから再出発する以外にない、と思う名舟港、子供の頃は築港はなかった
貧乏暮らしは一つの生き方を象徴している90歳の師が今も漁に出ている
読売新聞・戦後70年想う「山折哲雄さん」より