正月6日、村の若い衆が白山神社から出発して各戸を回る「あまめはぎ」という習俗
があったが今は行われていません
昭和23年頃まで行われていたが、食料の不足、米の供出強化など、さらには戦後宗教心
の薄らぎなどが原因となって、この行事はなくなった
秋田県男鹿半島で行われている「なまはげ」と同じで、鬼面をかぶり、蓑などを来て
悪い子はいないか、怠け者はいないか、親の言うことを聞いているか、と子供に襲いかかります
子供は泣きながら「聞いている」と応えます
小生も小さい頃、怖くて泣き叫んだ記憶があります
尊利地で行われていた形態は
日時: 節分の日の夕方
参加者:村の若い衆
先ず、氏神様に集合。神主様になる者1人、狩衣を着用し、麻を持ち、他の者は半天を
着て藁で作った蓑を着る
板で作った大きい包丁を持ち、中の1人は餅を入れる袋を担ぐ
門毎に大声で「年越しを祝いましょう、あまめはぎやー」と、口々に唱え、家の中に入る
神主の仮装をした者が神棚の下で拝礼して祝詞を読む
【高天原に神鎮まります神ろぎの命をを以ちて、八百万の神たちに計りに計らい給いし、
お年寄り衆には、いも、ほうそう等をのがれ、お子達には七難苦厄をのがれ、はじか
等も袴い給い、納戸の隅から庭の釜どの前までも祓い給い、福の神をこなたへどっさり、
いつまでも栄に栄へ、恐み恐み白す
さりかわり、餅をどっさり下さいませ】
拝礼して、もらった餅を袋に入れて、次の家へまわる
終わると若い衆は一軒を宿にして、その餅をアズキ雑煮にして食べる
残った餅は搗きなおして手製で煎餅を焼き、14日の晩に衆御講を営み、参拝者に売って費用に当てる
(学制100周年記念誌より)
があったが今は行われていません
昭和23年頃まで行われていたが、食料の不足、米の供出強化など、さらには戦後宗教心
の薄らぎなどが原因となって、この行事はなくなった
秋田県男鹿半島で行われている「なまはげ」と同じで、鬼面をかぶり、蓑などを来て
悪い子はいないか、怠け者はいないか、親の言うことを聞いているか、と子供に襲いかかります
子供は泣きながら「聞いている」と応えます
小生も小さい頃、怖くて泣き叫んだ記憶があります
尊利地で行われていた形態は
日時: 節分の日の夕方
参加者:村の若い衆
先ず、氏神様に集合。神主様になる者1人、狩衣を着用し、麻を持ち、他の者は半天を
着て藁で作った蓑を着る
板で作った大きい包丁を持ち、中の1人は餅を入れる袋を担ぐ
門毎に大声で「年越しを祝いましょう、あまめはぎやー」と、口々に唱え、家の中に入る
神主の仮装をした者が神棚の下で拝礼して祝詞を読む
【高天原に神鎮まります神ろぎの命をを以ちて、八百万の神たちに計りに計らい給いし、
お年寄り衆には、いも、ほうそう等をのがれ、お子達には七難苦厄をのがれ、はじか
等も袴い給い、納戸の隅から庭の釜どの前までも祓い給い、福の神をこなたへどっさり、
いつまでも栄に栄へ、恐み恐み白す
さりかわり、餅をどっさり下さいませ】
拝礼して、もらった餅を袋に入れて、次の家へまわる
終わると若い衆は一軒を宿にして、その餅をアズキ雑煮にして食べる
残った餅は搗きなおして手製で煎餅を焼き、14日の晩に衆御講を営み、参拝者に売って費用に当てる
(学制100周年記念誌より)
