南志見の地名の由来ははっきり立証されていない
古書や古文書では鎌倉初期の能登国田数目録に初めて出てくる
それ以前の平安初期の倭名類聚抄という本に、能都鳳至郡五郷の一つに、男心郷と記されていて、これが奈自見と読み、後の南志見郷だと言われているが、その経過ははっきりしていない
南北朝時代の記録、西光寺に蔵されていたという文章にも大屋荘南志見西光寺と記されている
徳川期になり十村制がしかれた
白米、名舟、尊利地、小田屋、里、渋田、忍、東山、西院内、東院内
明治22年2月、初めて日本国憲法が発布され、翌23年4月町村制が施行され南志見村が誕生した
上記の十村に加えて野田、大西山、小西山が包含され13村となる
(昭和52年発行・学制100周年記念誌より)