あの晴れた朝っぱらから世の中が色づいたのは間違いではない・・・沙羅
桜の名所「大美和の杜」への階段
ソメイヨシノ、枝垂れ桜の名所

ウエアが似合っています
素晴らしい眺望が待っていました
左奥から、金剛山、葛城山、岩橋山、二上山
手前左から、天の香久山、畝傍山、耳成山

貸切状態の広場で弁当を広げました
寒さを除けば、ハルカスのレストランに負けない眺望での昼食
秀麗の三輪山稜線
仲良し三人娘、その先は耳成山
尾道から参加のMさん
展望台で一文字書き
東京からご夫婦で見えられたという丸木照子さんも特別参加
この一年楽しいことがイッパイあったのでしょうね
一文字を書き上げて集合写真です
小生も仲間に加わりました
桜の名所「大美和の杜」への階段

ソメイヨシノ、枝垂れ桜の名所

ウエアが似合っています
素晴らしい眺望が待っていました左奥から、金剛山、葛城山、岩橋山、二上山
手前左から、天の香久山、畝傍山、耳成山

貸切状態の広場で弁当を広げました
寒さを除けば、ハルカスのレストランに負けない眺望での昼食
秀麗の三輪山稜線
仲良し三人娘、その先は耳成山
尾道から参加のMさん
展望台で一文字書き
東京からご夫婦で見えられたという丸木照子さんも特別参加この一年楽しいことがイッパイあったのでしょうね
一文字を書き上げて集合写真です
小生も仲間に加わりました縄文人は、自分たちが大いなるモノの主に包みこまれた存在であることを自覚する暮らしをしていた。そのために周囲から切り離された特別な祭祀場をつくって自分とモノの主との間に距離を発生させることをしなかったのである。縄文人の宗教は、自然を循環する全体的なエネルギーを正しく操作するための精神的な技術にほかならない。しかし、それは人間の観念を自然の上に立たせようとしない技術である。こういう意味で、縄文人の宗教を「唯物論」的と呼ぶことができる。・・・中沢新一「三輪神社」より⑤
