12月7日・第76回山耀会「三輪山参拝」
古代より甘南備山として崇められてきた三輪山467mに登り、山の神様に今年1年の御礼参りをすることが目的の一つ
山頂は奥津磐座と呼ばれる祭祀の場所となっています
近鉄大阪線「桜井駅」9時集合
9:08分、三輪駅前

すでに多くの参拝者で賑わっていました
古代より甘南備山として崇められてきた三輪山467mに登り、山の神様に今年1年の御礼参りをすることが目的の一つ
山頂は奥津磐座と呼ばれる祭祀の場所となっています
近鉄大阪線「桜井駅」9時集合
9:08分、三輪駅前

すでに多くの参拝者で賑わっていました
二の鳥居をくぐる前に整列
参道を掃き清める作業員

静寂

厳かな気が漂ってくる
拝殿に向かう階段
大注連縄
祈りを捧げる
七五三参りかな
ふりそそぐプラナ
縄文人と弥生人の間には本質的な違いはない。彼らは現実の背後に、モノや神の活動を感じ取りながら生きてきた。モノや神は現実の表面には表れてこない。それは隠されているヴァーチャルな幽界から、こちらの世界に「あらわれる」ものである。この「あらわれ」を確実におこさせる機構が、古層の時代における宗教にほかならない。しかし、ここから先に重大な違いが出てくる。稲作を行う弥生人は「あらわれ」を起こさせる機構として、モノやカミを祀るための特別な祭祀場を設けた。ところが縄文人はそういうものをつくろうとはしない。・・・中沢新一「三輪神社より」①