山深きかぎりと思ふみよし野を猶おくありと月は入りけり・・・二品法親王
若者グループと行き違った
弥山山頂を見上げる
 この歌の通り、吉野山で深山は終わりのような気がするするのに、この辺りに立てば、吉野はほんの入り口である
 天川が南朝の舞台として表だって史実に登場せず、「吉野の奥」だけで片付けられているのは、謎の行宮だったからと一説に云われる
 後醍醐天皇の大いなる野望のため、全国各地で南朝対北朝の戦いが展開されたが、この奥深い里もご多分に漏れなかったと見える
 天川弁財天に残る歴代の南朝方天皇の綸旨もそうだが、弁財天社の裏手に南朝皇居跡の碑が立っている
凍り付いて滑りやすかった
  天川村と隣接する大塔村は、後醍醐天皇の皇子で父に裏切られた悲運の大塔宮護良親王の拠点のあったところだ
山上ヶ岳1719~地蔵岳1685m~竜ヶ岳1725m~阿弥陀ヶ森1680m~明王ヶ岳1569mの稜線
15年ほど前、師匠のT・H氏と二人で縦走をした
今は鬼籍に入っておられます

  天川村では、後醍醐天皇遥拝の儀式が、村人で構成される「筋目衆」の手によって今も行われている
  遥拝の場所と言うのが以外にも、御手洗渓谷を麓に持つ観音峰山の頂上付近
ザックベルトに蛾が止まった。この寒さにどうしたのだろう?
T・H氏が会いに来たのかも
  観音峰山は標高1347mを超す険しい山
 神仏の加護を受けつつ、南朝再興を果たさんとした後醍醐天皇が身を寄せる場としても、諸条件がかなっていた
 急峻霊峰が頭を並べていて、「隠口(こもりく)泊瀬(はつせ)」という言葉はあるにしろ、隠れ里の感、十分である
  遊歩参考