楽隠居は許されず
天下統一事業の大詰めに官兵衛の知略が必要であった
官兵衛は隠居した後「如水軒」と号して長政の後見役となる
官兵衛の交渉術で小田原評定に終止符を打つ
秀吉の野望「朝鮮出兵」に心が萎える
文禄元年(1592)5月、46歳の時に海を渡っているが、病を患って帰国している
明軍の参戦で苦戦を強いられ、文禄2年2月再び出兵が命じられる
秀吉に命じられ軍目付として渡海していたが、石田三成ら奉行衆と諍いを起こし帰国する
秀吉の怒りは思いのほか激しく、秀吉の怒りを鎮めるため出家して如水と号して謹慎蟄居した
慶長の役の翌年8月18日秀吉伏見城で死去。享年62歳であった
稀代の軍師、半兵衛&官兵衛
軍略、半兵衛はゲーム、官兵衛はビジネス
