はるばると登れば書写の山おろし松の響も御法なるらむ
秀吉が官兵衛の進言によって本陣を置いた場所が、ここ十地坊跡
置塩山370m(通称城山)にある山城
  
姫路市の中心部北10kmに位置し、北から南に夢前川が流れ、川沿いに播但街道がある要所に築かれた山城
 最後の城主・赤松則房は秀吉の中国攻めに対して、戦うことなく降伏し軍門に入った
 滴る汗もぬぐわずカメラに収まりました。官兵衛になった気分
 官兵衛とは狼煙等を使い連絡を取り合って、三木城の別所長治を攻めた
 置塩城は五代・100年間続きました
文明元年(1469)、赤松雅則が築城
  二代目・義村は有力一門の七條家から迎えた養子
 三代目は晴政、尼子晴久の播磨侵攻で、一時摂津へ逃亡する
四代目は義祐、宇喜多氏、浦上氏の勢力拡大で所領はわずか三郡だけとなる
  五代目・則房、秀吉に降伏し、置塩城は廃城となる
秀吉の命により、阿波の国加島城に1万石で移封となる