日本で初めて世界文化遺産に登録された姫路城 
姫路城の大修理に伴う外枠が外され白亜の白鷺城が姿を現しました
大天守の高さは91.9m
(大天守31.5m+石垣14.8m+姫山の標高45.6m)
 天守は江戸時代初期に建てられ、建築物は国宝や重要文化財、城跡は国の特別史跡に指定されている。世界文化遺産登録や、日本100名城に選定されている
  大手門は本来三十城門からなり、城内では最も格調高くかつ厳重な門でした

現在大手門と呼んでいる大型の高麗門は昭和13年に完成したもので、位置や大きさは江戸時代のものとはまったく異なっています
  大手門前の内堀には桜門橋という木造橋が架けられていました
今回復元した桜門橋は発掘調査で出土した遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして平成19年に築かれたもの

 
  昭和の大修理から45年が経過し、漆喰や瓦などの傷みが目立つようになり、大天守の保存修理を平成21年10月に開始しました
 

官兵衛と姫路城
天文15年(1546)官兵衛姫路城で生まれる
永禄10年(1567)志方城主の娘・光姫(幸圓)と結婚(21歳)
                  父・職隆隠居。家督を引き継ぐ
永禄11年(1568)嫡男・長政、姫路城で生まれる
天正5年(1577)秀吉、播磨に侵攻
天正8年(1580)姫路城を秀吉に譲り妻鹿国府山城に移る
           秀吉、官兵衛と浅野長政に姫路城の普請を命ずる
天正9年(1581)三重の本格的な天守を持つ姫路城が完成する


   姫路城の始まりは、1346年南北朝時代の赤松貞範による築城が有力
城郭に相当する規模の構築物としては小寺氏の家臣・黒田重隆・職隆夫子による説もある  
慶長6年(1601)関ヶ原の戦い後、姫路に入った家康の娘婿・池田輝政が秀吉の築いた天守を取り壊し、石垣などは活かして、慶長14年(1609)、五重の姫路城を完成させました
  現在は城内の「リの一渡櫓」を「官兵衛の歴史館」として、黒田官兵衛特別展が開催されています