河畔に オジロワシ死骸 鳥インフル?  

仏坂(ほとけざか)は、日置川町安居(あご)の日置川を渡った対岸からすさみに通じる古道で、古い面影を今に残しています

登り口から鬱蒼とした杉林の中を急坂が続き、「桂松」とよばれる一里塚の松や仏坂茶屋跡があります

入谷橋のたもとには、大きな石の上にほこらがある地主(じのし)神社があります

救助ポイント㉗

露岩

切り出した跡

石仏でも彫ってあるかと近づいてみた

仏坂を降りてきたところにある渡場

仏坂(ほとけざか)は、日置川町安居(あご)の日置川を渡った対岸から周参見に通じる古道で、近世に入ってからは大辺路街道として利用されました

桂松方向

日置川畔にオジロワシ?の死骸

世界最古 時代の波を 越え生きる

金剛組

聖徳太子が招聘した宮大工がが、578年に創業した世界最古の企業

創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、同年11月より高松建設の子会社(現在は孫会社)へ移行している

578年、四天王寺建立のため聖徳太子によって百済より招かれた3人の宮大工(金剛、早水〈はやみ〉、永路〈ながみち)のうちの1人である金剛重光(こんごうしげみつにより)創業

近世に至るまで四天王寺お抱えの宮大工となる

旧来からの伝統的な建築を得意分野としてきたが、神社仏閣にもコンクリート建築が増加したことにより大手ゼネコンとの価格競争に巻き込まれた結果、売上の減少や資金繰りの悪化により経営危機に見舞われたため高松建設が支援を行った

受け皿会社(以下「新・金剛組」)に主力の寺社建築事業を譲渡するとともに、従業員の大半も新・金剛組へ転籍した(新旧分離)

現在は本業の宮大工に立ち戻り、100人以上の宮大工を抱えている

苦労して 登らなければ 見られない

右岸巻道から二の滝

ズームアップ

危険ルート

遭難者事故が多く発生しています

一歩一歩着実に

谷底

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急勾配

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木の根道

リプレイ