この命今ことりと尽きたなら花吹雪となり君に逢いたい…沙羅
13日山耀会登山会、エドヒガン桜満開の能勢妙見さん(660m)を訪ねました

バーベキューで約2時間とりましたので、ケーブルで下山しました

大津京・桐畑古墳公園の桜が終了しましたら連載いたします

4月5日、大津市の滋賀の里を訪ねました

琵琶湖が一望できる場所から撮影しました

2年前比叡山下山後、この地へ花見に立ち寄る予定でしたが、桜が蕾固しの情報で断念いたしました

南西方向・大津市街の眺望
倭(しどり)神社の由来書き
この辺りは大津宮があった場所と言われている

祭神は天智天皇の皇后である倭姫と伝えるが、おそらく小丘上の本殿改築の際、朱の痕跡が認められる花崗岩の板石が5~6枚発見されたことなどから

古墳と考えられ、その被葬者が倭姫だとする伝承によるものだろう

鳥居の東側にクスノキ、西側にケヤキの巨木が見られ、大津市の保護樹木に指定されている

満開の桜が向かて下さいました

江戸時代の記録では、天正19年(1591)及び宝永7年(1710)に赤塚大明神として再興された
通称・赤塚明神さんと呼ばれています
築造年代は古墳時代中期五世紀前半頃と推定されている。地籍図等から前方後円墳とも、また近年の測量調査では測子円墳とも言われています

帝国ホテルと爛漫の桜

しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほう山ざくら花・・・本居宣長
花はさくら、桜は山桜の、葉あかくてりて、ほそきが、まばらにまじりて、話しげく咲たるは、又たぐふべき物もなく、浮き世のものとも思われず
宣長は、山桜の葉が花の間にまばらにある美しさを好んだ
浮き世のものとは思われない美しさに、山桜の葉は欠かせない
宣長は入念な人で、自ら筆を執って墓の設計図を書いていたという。この設計図に桜の木も描かれていた
日本人にとって桜は生死と切り離せない何かがある
学問や知識をひけらかすよりも、人としての心を大切にする方がもっと大事に思う
日本人として生まれ育ち、生きている自分自身の心を振り返ることが、知識より大切だと思う
小生も毎年、桜の季節に同じことを思っている

さくら考…葉室麟(日経・文化欄より)