「僕の英語はビートルズで学び、精神分析で鍛えられたようなもの」

自分の生い立ちから見た夢の話まで語ることは、人生を不十分ながら見つめ直すよい機会になった


モーズレイ病院では無意識を重要視する精神分析と、実証性に基づいた行動療法的な立場の医師が烈しく対立していた


「精神分析なんて星占いと同じ」。辛辣な言葉が症例検討の場で飛び交い、自身の発表も容赦ない批判を浴びた。だが、この論争の中に、学問の本質と自分が進むべき方向を見つけた


音楽で成功した「私」と医者を目指す「私」-ずっと探してきた、振れ幅の大きな自分を収めてくれそうな器がフロイトの精神分析かもしれないと気づいた


「芸術と科学は相容れない。だが心を支える柱として、人間は両者の折り合いをつけ続けなければならない。どちらかではなく、どちらも。自分は両方を引き受けて生きていくしかない、と確信した」

(朝日新聞・逆風満帆より)

北に向けて縦走

岩交じりのヤセ尾根が続きます

所々で岩塊が目に付きます
北東の山脈
名も知らぬ富士型の山

稜線から展望の開ける場所から撮りました

やがて下りになります
オロ峠への道標
下りの階段が整備されていますが、落ち葉が積もっているので滑らないよう注意は必要です
コルで送電線鉄塔を経て再び登りにつきます
オロ峠への道標に向かって登ります

北山修は小生より6歳年上

65年、大学1年の時、小生は中学2年

ザ・フォークルセダーズが解散した時、高校2年

72年、大学卒業時は大学2年


その間、「風」・「花嫁」・「あのすばらしい愛をもう一度」・「さらば恋人」・「さすらい人の子守唄」などのヒット曲が、小生の思春期を彩った


スマートで哀愁感があり、ドキドキ、ワクワク高揚感がありました


都会での生活になじめず、ホームシックにかかったときもバックグランドで流れていたし、自身よく口ずさんだものだ


音楽界に戻ってきて欲しい、というファンの素朴な願いから、ミュージシャンごときが医者になるなんて許せないという嫉妬に満ちた批判まで、「二足のワラジ」を目指す生き方を認めようとしない周囲の空気も感じていた


そうした空気から逃げるように、卒業後の研修先に札幌医科大学を選んだ。しかし、元有名人の消息を追いマスコミは病院内まで入り込んできた

「テレビに出たような人に、わが子を診てもらいたくない」と診察室から去った母親もいた


この時期、音楽関係者との連絡を全て絶ち、医学に専念しようとしたこともあったが、逆に自身の精神状態が不安定になってしまった


74年から2年間、英国のロンドン大学精神医学研究所に留学し精神科のモーズレイ病院で研修した体験が大きな転機になった

精神分析を学ぶには、自ら精神分析を受ける必要があった。「君はビートルズが羨ましかったんだろう」「君の音楽は母親に歌いかけながら、同時に父親の意見を気にしている」

精神分析家のトーマス・ヘイリーから指摘を受けながら1回約50分の分析を約1年半にわたって続けた

(朝日新聞・逆風満帆より)