北山修は小生より6歳年上

65年、大学1年の時、小生は中学2年

ザ・フォークルセダーズが解散した時、高校2年

72年、大学卒業時は大学2年


その間、「風」・「花嫁」・「あのすばらしい愛をもう一度」・「さらば恋人」・「さすらい人の子守唄」などのヒット曲が、小生の思春期を彩った


スマートで哀愁感があり、ドキドキ、ワクワク高揚感がありました


都会での生活になじめず、ホームシックにかかったときもバックグランドで流れていたし、自身よく口ずさんだものだ


音楽界に戻ってきて欲しい、というファンの素朴な願いから、ミュージシャンごときが医者になるなんて許せないという嫉妬に満ちた批判まで、「二足のワラジ」を目指す生き方を認めようとしない周囲の空気も感じていた


そうした空気から逃げるように、卒業後の研修先に札幌医科大学を選んだ。しかし、元有名人の消息を追いマスコミは病院内まで入り込んできた

「テレビに出たような人に、わが子を診てもらいたくない」と診察室から去った母親もいた


この時期、音楽関係者との連絡を全て絶ち、医学に専念しようとしたこともあったが、逆に自身の精神状態が不安定になってしまった


74年から2年間、英国のロンドン大学精神医学研究所に留学し精神科のモーズレイ病院で研修した体験が大きな転機になった

精神分析を学ぶには、自ら精神分析を受ける必要があった。「君はビートルズが羨ましかったんだろう」「君の音楽は母親に歌いかけながら、同時に父親の意見を気にしている」

精神分析家のトーマス・ヘイリーから指摘を受けながら1回約50分の分析を約1年半にわたって続けた

(朝日新聞・逆風満帆より)