ジャーナリスト 石川秀樹 -47ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



きょう2012/10/29からfacebook投稿の主舞台を個人のタイムライン(ウォール)からfacebookページのこのページ「石川秀樹アーカイブス」に移すことにしました。
仕事にからむ投稿はfacebookページに、個人のウォールでは純粋にプライベートなつぶやきのみをします(投稿の20~30%くらいか)。
将来性を考えての決断です。


現状はこうなっています。
このページに「いいね!」してくれた人、つまり「ファン」と言われる人の数は209人。
対して、個人のウォールは友達が3184人、フィード購読519人、計3700人が直接的に僕の投稿を読んでくれる可能性があるわけです。

単純な比較ですが、200対3700。どう見ても無謀なトライです
実際に“実験”した結果でも、不利は明らかでした。
10月19日に「★卑劣な犯人に踊らされる“警察の今”でわかったこと」という記事を書きました。そろそろ投稿の舞台をfacebookページに移そうかと考えていたときです。
それでも、いきなりだと空振りする可能性が高い。
そこで、まず記事をfacebookの『ノート』にして、そのノートを個人のウォールに「シェア」する形にしました。もちろんコメントも付けて。
ウォールからリンクで、ノートに飛んで来てほしい、という計算です。
しかしいつになく動きが鈍い。
結局、不安に負けて2時間後、個人のウォールに全文を(ノートにしないで素のままの文章で)掲出し直しました。
結果は、後の投稿に120いいね! 前の投稿には68いいね! そして肝心の『ノート』には6いいね!(うち2人は家族)しか付かない、という結果でした。


facebookページ惨敗、
『こちらで読んでもらうのは無理かなぁー』とも思ったのですが、
よく考えてみると『これは、出現率の問題ではないか』と思ったのです。
友達のニュースフィードに僕の記事が出た頻度の違いですね。
個人ウォールの素のままの長い長い記事に、それでも100いいね!が付くと言うのは、従来と同じ頻度でニュースフィードに出ているのだ。
一方、「コメント+ノート」形の投稿の出現頻度は低かった。
低いうえに、ノートまで読もうと思った人はもっと少なかった。
このように分析したのです。
記事の質の問題でなく、出現率という数の問題であるなら、しばらく我慢すれば投稿の舞台を「個人」から「facebookページ」に変えることはできるのではないかと思いました。


では投稿の舞台をfacebookページ変えるメリットとデメリットはなんでしょう。


【メリット】
① facebookページは公開であり、facebookの外の人ともつながることができる
② ファンの数に制限がない
③ 検索にもヒットする(SEO対策上もfacebookページは有利)
④ 更新情報がファンのニュースフィードに表示される
⑤ ページに「いいね!」されると、その人のfb友達のニュースフィードに知らされる
⑥ コメントされると、その人のfb友達のニュースフィードにも反映される
⑦ 友達や他のfacebookページの記事をシェアすることで共感が増す(個人アカウントでももちろんできるが、情報をfacebookの外にも拡散してあげることができる)
⑧ ファン数を拡大するための手段が豊富である
   ・メールの連絡先を招待
   ・友達を招待
   ・ページをシェア
   ・広告を作成
⑨ ページを「シェア」の機能がすごい(「メッセージ」横の「歯車」をクリックするか、上記したように「ページをシェア」を使う)。シェアできる場所は――
   ・自分のタイムライン
   ・友達のタイムライン
   ・グループ(複数あっても選択できる)
   ・あなたのページ上(自分が管理者であるfacebookページのこと。複数の場合選択可)
   ・メッセージを送信(友達宛にシェアの記事ごと送信できる)
⑩ インサイトで分析できる
⑪ 「いいね!」だけでなく、表示数も見ることができる(喫感的な投稿効果が知れる)
⑫ ページのアカウントでいいね!した他のfacebookページをまとめて見られる(fbページの「ホーム」はいいね!したfbページのみのニュースフィードである)



【デメリット】
① 友達との交流が切れてしまう(fbページのファンになってくれれば問題ない)
② 「いいね!」やコメントが激減する(1からやり直しだ)
③ 友達の動向をニュースフィードで追えなくなる(個人アカウントで見られる)
④ 友達の投稿に「いいね!」やコメントできない(個人アカウントでやればいい)
⑤ 友達とメッセージのやり取りができない(個人アカウントでできる)
⑥ グループを作れない(個人アカウントでつくればいい)
⑦ タイムラインとfacebookページに同時投稿などの離れ業が使えない
⑧ facebookのいろいろなページを見るための「プラットフォーム」にならない(個人アカウントに切り替えればよい)
⑨ 個人アカウントで書き込むと右隅に飛ばされる(「ページに表示」をすればいい)



列挙してみると、切り替えることのデメリットは②の「いいね!」、コメントが激減する」くらいしかない。
一から出直しというのは確かに辛い。
しかし、初めてfacebookを始めたころに比べれば、それなりにfacebookのことがわかっている。何とかなるだろう。
それに、fbの友達というのは「数を誇る」ためにあるのではない。
交流していなければ実質的な意味はない。
これも自分の場合を例に出すと―――


>3700人の友達・フィード購読者のうち、頻繁にやりとりしている人は280人、このうち顔と名前が完全に一致している人は170人くらい。以上、きのう検証した結果です。
努力している人はもっと多いのでしょうが、僕の場合は「ほぼ300人」が投稿が届き反応を得られる範囲。最大に見積もっても500人~1000人くらいが“到達範囲”だと思えるのです。
それ以外の人たちとは「今後とも末長くよろしくお願いします」とメッセージを交わしていながら、それっきりになっているのですね。


これこそがfacebook戦略の真骨頂、ザッカーバーグがfacebookに仕組んだシステムだと思います。


「同級生、同僚、友達といった現実世界での知り合いとの交流を深め、スムーズにするためのツールになることを意図してfacebookを開発している」


だからこそ、facebookは小さなコミュニティーを作りやすいのです。
その原理はfacebookページにも当然働いていますが、facebookページの原理は個人ウォールの原理とは違う。
僕は、自分の仕事をもっと広めていくことが最終目標です。
それゆえ、オープンな性格を併せ持つfacebookページで勝負をかけたい。
それが仕事のことはfacebookページに書く理由です。



………………………………………………………………………………………………
【筆者から】
僕がfacebookのメインステージとしたのは「石川秀樹 アーカイブス」というfacebookページです。ぜひご覧になってください。そしてfacebookのアカウントを持っていらっしゃる方は、ページへの「いいね!」を押してください。更新情報があなたのニュースフィードに流れます。
このページでは、アメブロの元になる記事も書きますし、短いエッセイなども書きます。
僕がfacebookを使うのは、多くの人とのやり取りが実に簡単にできるからです。
アカウント未取得の人でもfacebookページは見られますので、一度ぜひお立ち寄りください。
そしてもし気が向いたら、facebookのアカウントを取ってください。facebookの回し者ではありません。素晴らしいソーシャルメディアだと思うのでお勧めしています。





ペタしてね   読者登録してね

開演15分前。舞台の袖から長身のスタッフが降りてきた。
そのままフロア席の人と何やら談笑している。
薄いグレーのシャツをスラックスの上に出し、靴はスニーカー。

『あっ、あれは樋渡さん?』

次々に知人を見つけては、会話が続く。
「撮ってもいいですか?」の声に気軽に反応して、女性とツーショットで収まる。
会場でも“本人”の登場に気がついた。
バッグから本を出し駆け寄る人がいる。
差し出すとそれにサイン
。本は『首長パンチ』であるらしい
。樋渡啓祐武雄市長、2冊目の著書である。
若い夫婦が近づく。奥さんが何ごとか言うと、樋渡さんは男性をつかまえて抱きつきポーズをし、夫人が構えたカメラの方に向いた。
ころあいを計って会場左手の扉から姿を消す。
10分余のパフォーマンスだった。


午後6時半。時間かっきりに講演会が始まった。
主催者のあいさつ、三島市長の祝辞があって、司会の寺西隆之実行委員長が樋渡市長を呼ぶ。
「『10人くらいだから、おいでよ』と言われてきたら、だまされちゃったなぁー」
会場を振り返って見れば、三島市民文化会館小ホールはぎっしりと埋まっていた。
旧知の寺西さんとの掛け合いが終わると、長身のシャツ男はまた会場に降りてきた。
通路を進みながら話す。
「きょうの話は、キモは最後の15分だけですから。途中、眠っちゃってもいいですよ」
堅苦しいあいさつ言葉はいっさい抜きで始まった。


hidekidos かく語り記-樋渡啓祐 武雄市長



【お葬式用ビデオを用意してきました】
おとなしい人間なんですけどね、発言させると人が変わって橋下徹のようになっちゃう。
だから批判も非難も悪口雑言もすごい。
リコールもされちゃいましたからね。
リコールは車だけにしろ、って言ったんですけど……。
(2008年11月、リコール請求成立直前に辞職、翌月の再選挙で当選)
21憶円の損害賠償訴訟も起こされてますから。
だから地元では、「いつ殺されてもおかしくない」といわれてます。
葬式になると大変でしょう?準備が。
急には作れないので武雄市役所の僕のスタッフが「いつでも使えるように」って、僕のお葬式用ビデオを作ってくれました。(以下、動画の説明)


【「無名」であることは武器である】
「1719」この数字の意味がわかる人、いますか? 
(会場から「全国の自治体の数?」)
そうです、よくわかりましたね。
6年前に早稲田大学で講演したときに、100人に「武雄市を知ってますか?」と聞いたんですよ。何人知っていたと思います?
(会場から「3人」「5人」の声)
1人でした。
よく知ってたなと思ってさらに聞くと、「PKOで…」とか言う。
「そりゃ、タケオ市でしょう、カンボジアの!」
まあ、こんな調子です。
佐賀県がどこにあるのか聞いたら、「四国」って人がいましたよ。
それじゃあ五国になっちゃう。


佐賀県武雄市は無名です。
それで市長になってから一所懸命宣伝した。
「レモングラスは武雄の名産です」
「武雄駅の目の前にはレモングラス畑が広がっている」なんて。
そうしたらこの前、武雄市に来た人が「駅前にレモングラスなんかないじゃないか」っていうんです。
ウソがばれちゃった。
ウソはいけないけど、無名だから大ボラ吹けばそれが通っちゃう。
レモングラス、今では年間5億円の売り上げ。
「無名」であることは、実は武器になるんですよ。
知られてないから先入観なく、どんどん広げることができる。


【勢いのある人と組む】
(舞台上の大型スクリーンに橋下徹大阪市長と樋渡市長が握手をしている写真)
このとき初対面です。
そうは見えないでしょう。
政治家は握手をするとき、必ず両手でします。
握った手を離さないように。
これ「ブロック」と言います。
この写真をブログや、ありとあらゆる媒体にばらまきました。
効果てきめん。
「樋渡さん、橋下さんとも親しいんだね」
「橋下さんと一緒なんだ」
錯覚、幻想です。
でも、そう信じてくれて投票してくれる。
これ、後の祭りと言います。
(小さい声で)「維新の会に入れ」と言われています、でも入りません。
力弱い自治体の首長は、勢いのある人と組むのがいいんです。
(孫正義さんとのエピソード、そしてTSUTAYA社長の増田宗昭さんとのエピソード。※増田さんとの件は後述)


【ドラマチックシアター武雄の市議会】
この中で、市議会を傍聴したことがある人(会場からパラパラと挙手)。
では、議会を見ていておもしろかった人は?(今度は1名)。
武雄市議会は200人が傍聴します。
地元のCATVが議会の模様を中継すると、視聴率50%、「紅白」を抜いてます。
Ustreamは2000人が見ます。
武雄の市議会はおもしろい。


(スクリーンに新聞の1面が映される。「市長暴走」「興奮、陳謝」などの大見出しが躍る)
市民病院の民営化をめぐってリコール騒ぎにまでなるんだけど、議会の答弁だって、殺(や)るかやられるか、生きるか死ぬか、のるかそるかですよ。
おもしろくないわけがない。
皆さん、議会はおもしろくないと思っているでしょう? 
ここがミソです。
うちの議会にはハラハラドキドキがある。
だから見てくれる。
注目される。


【どこかの国と似ているぞ、武雄市の戦略】
(スクリーンに文字が大写し)組む・反省せず・過ぎる・笑わす・Speed & Open・劇場化
どこかの国と同じでしょ、笑いをのぞけば。
北朝鮮の国力は都道府県最下位の沖縄県よりも低い。
それでも大国を相手にしている。
テポドンを飛ばすときは、世界にニュースがない時を狙っている。
自治体は「ニュースに取り上げてくれない」なんて言いながら、こういうこと考えていない。
武雄市は5月4日に発表しますよ。
ゴールデンウィークでニュースなんか枯れちゃっているから。


「反省せず」しません!
反省しても暗くなるだけでしょ。
悔い改めても同じ状況は2度と起こらない。
それより前を向いてチャレンジした方がいい。
松下幸之助さんは「失敗したことがない」と言う。
なんて嫌な人かと思ったけど、「成功するまでやるんだ」と。
だから全部、成功へのプロセスになるんですよ。


「過ぎる」 過ぎてる、壊れてます。
過ぎる人でないとやれないでしょう。
「笑わす」 町づくりのつまらないとこは、笑いがないことです。
葬式よりひどいよ。
「市長は決断が速いですね」と言われます。
スピードは最高の付加価値ですよ。
同い年で今では仲良しになった橋下徹大阪市長と話したとき「師匠は誰なの?」と聞くと「デーブ・スペクターだ」と言うんですよ。
「最初の5秒が大事だ」と教えたらしい。
つかみの5秒です。
(テレビ画面に出てくる前から)彼は計算している。
僕の決定が速い理由は、決定する前から決めているからです。
行政が遅いと言われるのは、完成品を出そうとするからだね。
完ぺきなものを出そうとする。僕は仕掛品でいいから出せ、と言っている。
ベータ版でも世に出すんですよ。
具合が悪ければ変えていけばいい。
スピードは最高の付加価値です。


【なぜfacebookなのか】
(スクリーン。「世界一人口が多いのは?」)1番は? 中国。2番は? インド。
では3番は?(会場沈黙)facebookです。10億人。
日本では1500万人くらいですか? 
この前、80歳過ぎのおじいさんからfacebookのメッセージが届きました。
どうしてこの人が送れたのかなと思って調べたら、お孫さんが代筆してました。
そういうことなんですよ、高齢者だから(facebookなんか)使えないと決めつけない。ど
どん伸びていくでしょう、そこに乗っかるということですよ。


※(別のインタビュー動画から「なぜfb」なのかを補足→)
うちみたいな弱小自治体が、ホームページも、ツイッターも、facebookも全部やるというのは不可能な話なんですね。
資源を集中投下するっていうのは経営者としては大事。
経営判断です。
あとは勝ち馬に乗るってことですね。
facebookは使っていて楽しい、実名だから。
匿名であるところに自由はないです。
公の部分と自分のプライバシーという部分が融けている、facebookは1人1アカウントだから。それが今、すごく時代に合っていると思う。


【稼ぐ自治体をめざして「F&B良品」始めた】
(ここから舞台に杉山隆志㈱SIIIS社長が登場。市長と掛け合いで武雄市が運営するfacebook版の特産品販売サイト「F&B良品」の説明を始める)
稼ぐ自治体、もうける自治体にしようと「フェイスブックシティー課」というものをつくりました。
市の特産品を売ろう、市内の人が作っているものを武雄市が間に入ってネット通販をしようというので「FB良品」というfacebookページをつくりました。
FanBuy(ファンバイ)武雄市


(※このショップ、fbページで商品のPRや関連情報、スタッフの動向などを自由に投稿。実際に商品を購入するのは別のページで、という構成になっている)
facebookを使うというのはオリジナリティーがないと言われるけれども、デザインも先にできているしアレンジするだけだから格安に済む、サーバー代がいらない。
あるものを組み合わせて使うわけですよ。
だから出品者への手数料だって、ただにできる。
他の通販のプラットフォームに頼めば、極端なこと言えば売り上げの半分くらい持ってかれる場合もあるわけです。
武雄市がやれば手数料はいらない。
そこは、もうかったら税金でいただけばいいわけだから。


【80歳ばあちゃんの「うーん、うまかばーい!」でおコメ完売】
もちろんfacebookをプラットフォームにしたというのは、口コミ効果と言うのにも期待しています。
御田中米(みたんなかまい)というおコメがあるんですが、職員の家で80歳になるご両親が作っています。
売れないので職員が動画を撮ってYoutubeに載せたのをFB良品で紹介した。
素人の動画だから、大したことないんですよ。
職員と両親の3人が緊張して正面向いてしゃべるだけ。
(最後にお母さんが茶碗に盛った御田中米のご飯を食べて「うーん、うまかばーい!」。会場は爆笑)
でも、なんとも言えない笑いがある。
それで、80袋が1週間で売れちゃった。
笑いは共感を広げる。
これを見て、武雄市に来てくれる人まで現れました。
今、全国の自治体に一緒にやろうと声掛けしています。
11月には8市町村でポータルサイトを作って、年間10億ビューを稼ごうと、計画しています。


【世界初、公共図書館にスタバが入る】
今度、CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社、TSUTAYAなどを運営している)と組んで、武雄市立図書館を業務委託します。
これも地元では大もめにもめて、論争になったんだけど。
館内にカフェスペースを作りスターバックスが入る。
図書館でTポイントも使えるようにする。
そうすると「業者に個人情報を取られるだろう」なんて声が出てくる。
しかし、そこは工夫で乗り切れる。
だめな理由を考えるより、市民の方に向いているのかってことなんですよ。
市民にとって良い政策ならばやる。
やるというのが大事で、やりながら調整していく。
図書館も、最初の構想から最終形はずいぶん変わっているんですよ。


【ワンパッケージ化】
FB良品や図書館の民間委託は、民業圧迫ではないですよ。
楽天やAmazonを駆逐するなら問題だが、楽天、Amazonでは手数料が高過ぎて参入できない、救われない人たち、零細の店や人たちを救おうということ。
今までそういうサービスがないところにフィールドをつくるんです。
プラットフォームをつくるんですよ、それはベンチャー企業がやるより、自治体がやる方が信頼感があるだろうと。
もっと言えば、FB良品は地域連携でやりたい。


僕がいろいろやっているのは、ロールモデルを作りたいわけです。
だから事業をワンパッケージ化する。
それならほかの自治体がすぐ真似できる。
「公共図書館―TSUTAYA―スターバックス」みたいに、お手本をつくる。
どんどん真似してくれればいい。
もっとうまくいったら、今度は僕らがまたそれをパクリ返します。
むしろ「民業圧迫」と言われたいですよ。
力弱い自治体が連携して(事業の)バリューを上げていきたい。
できるんじゃないかと思ってます。
地方から元気になって日本を活気づけたい。
そしてね、本当に民業を圧迫するくらいに影響力が大きくなったら、(民業圧迫と言われないように)権利を誰かに売りますよ。


【自治体予算の年度主義をどうすり抜けるのか】
(会場から、「新規事業の予算を“市長の思いつき”でなぜ獲得できるのか」と質問が飛ぶ)
質問者:「三島市に限らないと思いますが、議会と予算は年度で動いている。実績がないと議題に上げることさえできないのが現実。なぜ武雄市ではできるのでしょう」

予算を獲得するために、臨時議会を開きまくりますね。
新規事業は本予算ではなく補正予算でやる。
どんどん臨時会を開いて、その場で(新規事業に)予算を付けていく。
予算を付ける代わりに無駄は省きますよ。
武雄市は僕が市長になったときに500憶円の累積赤字を抱えていた。
それをこの6年間で100億円削った。


それに僕はトップダウンじゃない。
「トップアップ」なんですよ。
僕は一般の会社なら、会長でCEO(最高経営責任者)。
ピラミッドの頂点の横にいるんです。武雄市の社長は副市長ですよ。
この人がCOO(最高執行責任者)兼CFO(最高財務責任者)で実質的なトップ。
僕は職員のところに行ってけしかけて、化学反応を起こさせる。
それが予算請求で回ってくる。
僕がダメというときもあるし、僕がその事業にかかわっていても副市長が通さないときもある。要するにふたりが拒否権を持っているんです。
議会もチェックするし。
だから僕は市政の独裁者だけど、統治はしていないし、できない。
そういうところでバランスが取れている。


■   ■
以上、三島市の講演内容を中心に「聞き書き風」にまとめた。録
音機を回したわけではないので、1字1句正確な文章になっているわけではない。
勘違いの解釈があるとすれば僕の責任だ。
より詳しい説明が必要と感じた個所については、他のインタビュー動画などからも引用した。


講演を聴いていてあらためて実感したのは、樋渡市長はまれにみる戦略家であるということだ。単に、アイデアを思いつくということではない。
それを実行に移すことにおいて、能力がありエネルギーを費やせるという意味である。
カネもないし自前のスタッフがいるわけでもない、舞い降りた舞台は武雄市という人口5万人の弱小自治体。
沈滞しきった現実が待っていた。
何とか変えなければいけない。
そこでカネは使えないけれども、人々の気持ちは変えていく事業を思いつく。
新しいことだ。
やろうとすれば反対が出てくる。
しかし、断固としてやりたい。
やり抜かなければならない。
そこで、気配りが生まれる。
周到な計算をする。
戦うために使えそうな手はどん欲に使ってみる。
もっとも有効に使ったのはメディアだ。
『市民のためにやっている。この町が元気を取り戻すためにやっている。正しく思いが伝われば、市民は必ず理解してくれるはずだ』と思っている。
伝わらなければ意味がないが、メディアが代わりに伝えてくれる。
新聞、テレビ……。
マスメディアは「新しいこと」に弱い。
そこをしたたかに利用する。
この6年でかなり政治家・樋渡啓祐の名は知られてきた。


そういう中で、ツイッター、facebookのソーシャルメディア時代がきた。
個人がメディアとなる時代だ。
すでに「有名」を得ていた樋渡市長にとっては、直接自分で流れが作れる時代になった。
個メディアの影響力はまだ「力弱い」。しかしこの2年間、ソーシャルメディアを意識したメディア戦略をとってきて、市と市民の関係はそれ以前に比べて何十倍もの強いきずなが生まれてきている。
口コミの威力は、選挙を通じて頭と体にしみ込んでいる。
そう考えると、冒頭に“演じた”樋渡さんのホスピタリティーもいくぶんは理解できるのではないか。
有名市長とツーショットできれば、多くの人はそれをツイートする。
facebookにもアップするだろう
。微々たる効果だ。
あるかないかの影響力かもしれないが、人の記憶にしっかり根を下ろす。
ソーシャルメディア時代は、個人が主役だ。
がっしりと個人をつかまえたうえで、また新しい政策を打ち立てる。


11月16-18日、武雄市はfacebookの話題一色に染まるだろう。
昨年行った日本facebook学会総会を今年も開くからだ。
大会のテーマは「地方自治2.0」。
ソーシャルメディア時代の自治体について激論を戦わせるのだろう。
大会のfacebookイベントページには「武雄市から 今後の地方自治の在り方に関する重大な記者発表も初日にされるかも?です」と、イミシンなメッセージも書かれている。
facebookを絡めたニュースとなるに違いない。
そしてそれはマスメディアによって全国に拡散されるだろう。
facebookは今が旬。
そして樋渡啓祐市長にも風が吹いている。
幸せな出合い。
双方がもっとも力を発揮できる時期に、何をしでかしてくれるのだろうか。
“武雄の劇場”にいましばらくは、目が離せない。



………………………………………………………………………………………………………………
■コメントはfacebookページにください■
ソーシャルメディア活用本「友だちはあなたのビジネスの味方になる」
初めての方はページ右上の「いいね!」を押してください。





ペタしてね   読者登録してね




さてさて、困ったものだ。
“遠隔操作の犯人”に警察やメディアが踊らされている。
「まるで警察が犯人に遠隔操作されているみたいだな」
朝刊を見ながらそんなことをつぶやいたら、長男が「これほど供述がくるくる変わるのは、警察がどれくらい強引に誘導しているかってことだね」と、つぶやいた。
まさにそのことは、僕が言いたかったことの一つだ。
真犯人が“犯行告白メール”を送ってこなかったら、無実の罪で逮捕された人が4人もいることを、僕らは知らないままに終わっただろう。
朝日新聞の1面記事を読むと、警察が今も“日常的に”容疑者を「自供」に追い込む姿が見て取れる。


都内の幼稚園と有名子役に脅迫メールを送ったとされた福岡市のAさん。
自宅捜索でPCに子役あての文面が残っていたために追及され、あっさり自供。
東京に身柄を移された後、「同居する女性の犯行と思い、かばうために認めた」と否認に転じた。
しかし、女性が関与を否定するとまた容疑を認めた。
「就職活動に失敗し、いらいらしてやった」と動機も語り、メール送信の具体的な方法なども上伸したという。


この流れ、なんだか変だ。
女性をかばうつもりで罪をかぶったなら、女性が関与を否定すれば否認を貫くのがふつうだ。
ところが逆に再び容疑を認めてしまっている。
支離滅裂だ。
しかしこの支離滅裂ぶりはAさん側の要因によるのではないのだろう。
警察の誘導によると考えた方が合理的だ。
真犯人でない者は犯行の“具体的な”態様など思いつきようもないのだから。


神奈川県警でも同様に、容疑者とされた男性は上申書を書かされている。
大阪府警と三重県警では、否認を貫く男性をそれでも逮捕した。
「IPアドレスの一致だけで逮捕に踏み切ったのではない。適切な手順を踏んでおり、誤認逮捕という認識はない」(三重県警幹部)と、反省する気配さえない。


こういう警察に対して警察庁の片桐裕長官は「真犯人でない方を逮捕した可能性は高い」と、4人の誤認逮捕を認めた。
しかし警察の取り調べについては「状況を検証しているので、現段階ではコメントを差し控える」と、口をつぐんでしまった。
責任逃れのいつもの手だ。
いまコメントするのでなければ、何の意味があるというのだろう。
月日がたてば人々の関心は薄れ、たとえ不都合な事実が明らかにされたとしても、それを追及する空気はもはや消え失せており、発表側にとっては痛くも痒くもない。
この事件もうやむやに終わり、警察の誤認逮捕もずっと続きそうだ。


ところで、いま僕は警察を責めているが、本当に批判されるべきは無論、真犯人だ。
遠隔操作で脅迫メールを送るという卑劣な犯行を行い、誤認逮捕者が出てきたことを知れば“告白”メールを送る。
終始一貫、犯人がやっているのは自分を安全地帯に置いて、人を翻弄するというあさましい行為だ。
ただの卑怯者である!
卑劣な犯罪者のくせに警察やメディアを手玉にとったつもりでいる。
そういう者を馬鹿野郎!!と、僕は呼ぶ。


………………………………………………………………………………………………………………
■コメントはfacebookページにください■
石川秀樹 アーカイブス
初めての方はページ右上の「いいね!」を押してください。




ペタしてね   読者登録してね



ツイッターのフォロワー数が20万人を超えた。
個人のメディアとしてはなかなかのものだ。
2010年6月、ツイッターを始めてみて、僕はすごい時代が来たことを直感した。
それから半年後、facebookも始めた。

hidekidos かく語り記


これには、はまった。
「いいね!」やコメントが直に返ってくる。
投稿への手ごたえがすぐに得られる。
とは言っても、反響はまだ微々たるものだった。
ツイッターで「@マーク」付きで返信されたり、リツイートされることに慣れていたから、「数」については満足できなかった。
そこでツイッターと同じように、友達申請をじゃんじゃん出した。
友達が500人に達するころまで、そんなことを繰り返していただろうか。


そのうちに、なんとなく気がついた。
友達が増えても「いいね!」は増えないことを。
ニュースフィードに現れる人はいつも決まっており、自分にとって「濃い人」と「薄い人」が出てくるということを。そして、それこそがfacebookの特徴であることを。
そこに至って、ようやく数にとらわれる発想の無意味さを知った。
以後、自分から友達申請することはやめた(「これは」と思う一部の人を除いて)。
そして申請に対しては、インチキアカウントでない限り承認する。
なんといっても一期一会だから、“ご縁”は大切にしたい。


facebookはコミュニティーをつくるツールである。
「情報発信」には必ずしも向いていない。
友達を増やしても、イコール「情報の拡散」にはならない。
だからfacebookで売り込もうとしても、あまり成功しない。
だからfacebookの友達を「見込み客」のように考える発想は貧しい。
だからfacebookは使えない、言うなら「どうぞ、ご退場を」。


いきなり乱暴な言い方で、申し訳ない。
ただし、facebookはコミュニティーをつくるツール、という断言は正しい。
facebookは残念ながら、ビジネスを助けるためのツールではない。
少なくとも、スタート直後から数年は。
その後、facebook自身がビジネス化してから「ビジネス機能」も加えていった。
ファンページ(今のfacebookページ)のように。
しかしザッカーバーグの思想は今も「人は友達のすることに関心がある」の1点にある。
ビジネス的発想と直接的には融合しないこの発想のため、facebookは混乱している。
そして使う側の思惑はもっと多様で、求める機能や目的が違うために、
カオス(混とん)はますます深まっているようだ。


ツイッターは20万人もフォロワーがいるのに使いこなしていない。
facebookでは3000人の友達を持つがいまだ十二分の交流ができない。
facebook自身の混乱を受けて、僕らも混乱している。
facebookはビジネスで使えるのか、使えないのか。
でも、考えてみれば、ぜいたくな話だ。
10年前にはSNSなどなかった。
個人が情報発信し、自らがメディアになれるなど、想像もできなかった。


新しい時代は始まったばかりだ。
いろいろ試してみればいい。
今は“暗中模索”自体を楽しめばいいのではないか。
少なくとも僕は、こんな時代の手引書を書こうと、意欲を燃やしている。


………………………………………………………………………………………………………………
■コメントはfacebookページにください■
ソーシャルメディア活用本「友だちはあなたのビジネスの味方になる」
初めての方はページ右上の「いいね!」を押してください。




ペタしてね   読者登録してね





静岡県の浜岡原発再稼働をめぐる県民投票条例が10月11日の県議会で否決された。
惨敗だった。
原案は全会一致で否決。
一部議員が提出した修正案も、賛成17、反対48で否決。
条例制定請願に署名した16万5000人の民意は実現されないことになった。
大阪市議会で惨敗、東京都議会でもだめ、
原発稼働についての住民投票条例案は3連敗である。


否決される理由、静岡でもいろいろ言われた。
条例案に不備がある、知事の真意が不明、与党の意思分裂、実施主体となる町村の反対、そして「いま投票したら再稼働反対が多数を占め、浜岡がやっていけなくなる」との恐れ……。
つぶすための理屈は、どのようにもつけられる。
同様に、それらをいちいち論破することは可能だ。
しかし、論破したところで意味はない。負けは負けである。


負け惜しみを言えば、こうなることははじめからわかっていた。
「議会」と言うところは「少数」の集まりだからだ。
言っている意味がわからない? 説明しよう、簡単なことだ。


議員の数は「静岡県議会=69人」、静岡県民=373万人。


どっちが少ない? 議員は圧倒的に少数派だ。
少数だが、条例を作る権利は彼らの側にある。だから……
説得に慣れた者たちは、議員に的を絞る。
だって、373万人1人ひとりを説得するなんて、無理だろう?
議会なら、69人の半分、35人を落とせば勝ちだ。
少数者に対してならどんな手だって使える(そうしたとは言わないけれど)。

独裁政治が危険なのは、この原理の究極の姿だからだ。
たった1人の気まぐれに数百万、数千万人の命運が握られる。
全員で決める方がいいに決まっている。
それが「民主」というものだ。
まあ、そうには違いない。
お金と手間暇はとてつもなく掛かるけれど。
数が多すぎて意図を持つ者の“説得”も効かないから、議会よりは頼りになる。
しかし、やはり現実的ではないだろう。
政治的な事柄をいちいち市民の総意で決めていたのは、古代アテネだけだ。
そして、アテネ市民は投票権と同時に兵役の義務があったことも忘れてはならない。
「決定権」を得るということは、今も昔も、それほど重い。


リトアニアでは実現したじゃあないか、と言う人もいる。
確かに。
かの国では、2008年の原発操業継続の可否をめぐる国民投票で、10対1で操業継続派が勝利をおさめた。しかし福島第一原発事故を受けた後に実施された今回、原発建設可否を問う国民投票では一転、建設反対派が65%となった。
「ほら、投票を実施すれば……」と言うことは可能だろう。
確かに、投票を実施したリトアニアはエラい。
エラいついでに言えば、この投票に法的な拘束力は与えていなかった。
何という先見の明だろう。
ゆえに次期政権は、「原発建設方針を変えない」という離れ業をとることができる。
投票は壮大な無駄遣いだったのだろうか。
次期組閣で中心人物になるはずの労働党党首はこう言っている。
「すべての情報を公開した後に、あらためて国民投票を実施し、建設の是非を最終的に決める」
この言葉がウソでなければ、国民投票は無駄ではなかったことになる。


さて、原発県民条例案の運動は無駄だったのか。
成功はしなかったが、正攻法で戦ったことはもっと評価されてもいいと思う。
運動にかかわりのない県の事務方が条例案にケチを付けたのは、慮外の出来事だった。
結果的には、このいらぬ横ヤリがすこぶる効果を発揮してしまった。


まことに残念なのは、つまらぬ役人根性のおかげで「議会がこの条例案にどのような対応をするのか」という最大の関心事が、ついにあやふやになってしまったことだ。
「欠陥条例」との決め付けによって、議員たちは容易にこの案を否決することができた。
もっと議員自身に悩ませるべきだったのだ。
是か非か、経済が大事か命が先か、今を取るのか未来を見据えるのか。
そういう高次の判断に悩みに悩み、結論を出すのが政治の醍醐味である。
今回は想定外の役人さんの大活躍で、その“権利”が奪われてしまった。
結果、誰もが鼻白むような、わかり切った、つまらぬ結論となった。


〈ああ、つまらない!〉
というのが僕の結論だ。
無駄だったのかどうかさえ、わかりゃあしない!!


このあと、住民投票に代わる“政策”を提案しようと思っていたが、やめた。
静岡県庁のすまし顔にどうにも腹が立つので、別のことを一言書いて終わりにする。


県庁は人が余っているのではないか。
静岡市と浜松市が政令指定都市となり、県の仕事の大半が両市に移管された。
それなのに、以前と同じ陣容を抱えているのは異様だ。
民間並みにスリムにすべきだ。
有り余る時間があるから、誰も頼んでいないのに民間人の出した条例案を疑い、重箱の隅をつつくような真似をする。
余剰人員の全員を、市や町や、民間に貸し出したらいい。
このままでは人材が泣く。
もてる才を遊ばせているとろくなことにならないことは、今回の事例でおわかりであろう。



………………………………………………………………………………………………………………
■コメントはfacebookページにください■
石川秀樹 アーカイブス
初めての方はページ右上の「いいね!」を押してください。




ペタしてね   読者登録してね