ジャーナリスト 石川秀樹 -35ページ目

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


ドキュメンタリー映画「うたごころ」の榛葉健監督に先日、大阪でお目にかかった。


「うたごころ」は3.11の東北大震災後、毎日放送社員の榛葉さんが家庭用ビデオを回し、被災したある少女とその家族、南三陸町の人々を追い続けたドキュメンタリー映画だ。
商業映画のように広告に莫大な費用をかけられない。
上映できるかどうかもわからない。
そんな中で、Facebookで榛葉さんの活動を知った人たちが「なんとか映画を観たい」と動き出し、草の根のように自主上映の動きが全国に広がっていった。


僕が榛葉さんを訪ねたのは「うたごころ 2012年版」のあるシーンのことが気にかかっていたからだ。
昨年12月、静岡市清水区で「うたごころ(2011年版)」が上映された。
映画を観た後、会食中に榛葉さんは2012年版の話をされた。
その中に、6分30秒間、カメラ位置を変えずに撮り続けたシーンがあるという。
シーンが何秒かごとにクルクル変わる昨今のテレビ、映画の撮り方からすれば、
6分以上もカットを割らずに映し続けるのは “異常なこと”、
というのは新聞出身の僕でもなんとなくわかる。

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このシーンがどうなっているのか、それを確かめないことには僕の本は完成しない。
それで榛葉さんに直当たりしたわけだった。
予想通り、そのシーンは鈍感な僕でもすぐにわかった。
シーンの説明をしたくてウズウズしてくる。
でも、それは控えます。
ぜひこの映画を、劇場で観てください。


■    □
夜、監督とお話しした。
たくさんの話を聞いた中で、1つだけここで紹介したい。
それは榛葉健監督の“表現者としてのルーツ”に関するエピソードだ。


榛葉さんの父君は岩波映画製作所所属の映画監督、榛葉豊明(1929年-2009年 )さんである。
映画界では珍しい理系出身監督で、記録映画、教育映画、特に科学映画を手掛けた。
科学的、論理的な視点に基づく緻密なシナリオと演出でドキュメンタリーのジャンルで数々の賞を受賞している。
1952年、創立したばかりの岩波製作所に入った。
ウィキペディアの解説によると、その年同社は社員募集をしていなかった。
が、応対した役員に豊明さんは「私を採用しなかったら、後悔しますよ」と啖呵を切る。逆に認められ、採用が決まったそうだ。
反骨の人柄が伝わってくる。


榛葉健さんの子どものころの記憶。
ある日、父がコタツの向こう側でシナリオを書いていた。
父が持つ竹の定規にふと目をやると、「安保粉砕」の文字が見えた。
『アンを保ってコナをくだく?』なんのことやらさっぱりわからない。
岩波は1960年当時、インテリの常として「こんなところで仕事しているくらいならデモに行け」と社を挙げて社会正義に没頭する会社だったから、その名残の定規であろう。


後になって榛葉さんは考える。
「安保反対の気持ちがあったのなら、なぜ目の前にあった映像を撮らなかったのか。子どもの科学映画を撮るより、社会派の映画を撮る方がはるかに価値があったのではないか」
その言葉を強く父にぶつけた。
すると豊明さんは、一言も息子に反論しなかった。


父は2009年に末期がんで他界する。
榛葉さんは3ヶ月間頻繁に東京に通い、父を介護した。
映画の話になったとき、父は初めてあの時の気持ちを息子に伝えた。


父は時代の空気の中で、軍国少年だった。
呉の海軍兵学校を受験し、特攻を志願する気だったという。
ところが受験当日、激しい腹痛に見舞われて試験最中にトイレに駆け込むという始末で、合格できなかった。
おかげで戦争には行かず、戦後、日本の教育がガラリと変わったことを目撃する。
戦前の教育が間違っていたことを思い知らされた。
父が苦しい息の中でいったのは大要、以下のことだ。


「次の世代の子どもたちのためにやるべきことは、映画を通して、物事を客観的に合理的に考えられる子どもを育てること。社会派ではなく、自分が得意とする『理科』でもってそれを教えることだ」


それを聞いて榛葉さんは泣いた。
号泣した。
若気の至りでひどい言葉を父に投げつけてしまったことをわびた。
すると父は病床から身を起こし、榛葉さんの手に触れた。
そして、泣き止むまで手をさすり続けた。
『命のバトンが渡されている』ことを体感した。


「だから僕の胸の中に、父は今もいるんですね」


■    □
親子2代の表現者人生。
榛葉さんは大阪の毎日放送の現役社員である。
今は報道畑にはいない。


2011年3月11日、社内にいて大きな揺れを経験した。
それは僕も同じだ。
榛葉さんはそのとき、今すぐ現場に飛び出して行けないことをもどかしいと思った。
はやる気持ちを抑えに抑え、2か月後、自分の休暇を使って東北に行った。
家庭用ビデオ1つを携えて。


サラリーマンでありながら会社の枠を超えて、何かを伝えようとすることは、はたで考えるほど楽なことではない。
会社自体がテレビという巨大メディアを持っている。
その中で“個人”として「表現すること」のシ・ン・ド・サを、サラリーマンだった僕は痛いほど感じることができる。
サラリーマン社会では、「Social good(社会によいこと)」は必ずしも“自分にとってよいこと”にはつながらない。
定年を間近にした僕は、榛葉さんに比べればまったく“リスクのない”ところにいた。
『現場にいたい』とは思ったが、自分の役目でないとすぐに頭を切り替えてしまった。
多くの人も、そうではなかったかと思う。


そんな中での榛葉さんの行為は突出している。
血筋、ルーツ、素質の違い、ではないと思う。
表現者としての思いの強さの問題だ。
伝えないではいられない心のシンを強固にもっているかどうか。
そしてもうひとつは、「命」に対する姿勢だったろう。
『父ならどうするだろう』と、心のどこかで父親を観ていたのではないか。
だから榛葉さんは、自らに恥ずべき態度はとれなかったし、榛葉さんらしい方法で自ら決めたプロジェクトに飛び込んでいった。
迷うことなく。


■    □
たぶん今度の僕の本では、榛葉監督の行動の背後にあるこのようなエピソードを書くスペースはないと思う。
主にFacebookの効用を書くつもりだから。
でもFacebookで大切なのは、やり方、使い方、ノウハウではない。
何をやりたいのかという、その動機、決意、思いの深さだ。


榛葉さん親子2代に通じるものは「人は幸せに生きなければならない」という信念。
表現の仕方は違っていても、バトンは正しく伝わっていると思った。



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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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Facebookを始めてから、メールをチェックするのが面倒になった。
用のないメールが大半で、いちいち削除するのがめんどくさい。
それで何日も放っておいて、たまに重要なメールが送られたことがわかると、大騒ぎになる。


そこで一念発起して(それほどでもないか)、不要メールの配信停止を申し込むことにした。いや、始めるとこれが結構な手間だ。
1クリックで解除できるメールが皆無なのだ。


例えば某大手新聞社の配信メール。
停止させるために“誘導路”を探すと、
お客様サポートのページにログインのうえ、「購読者情報確認・変更」にアクセスし、「××新聞社からのお知らせを受け取る」のチェックを外してください―と求められる。
さて困った。
ログインIDやパスワードなど、覚えていない。
(みなさんもそうなのでは? なんで「ログイン」など必要なのかね……)


それで『どこかにメモがあったかな』と探し回る。
そうでなければパスワード再発行の手続きをしなければならない。


ようやくログインして件のページを開くと
お客様ご本人からのアクセスであることを確認させていただきます。××新聞デジタルログイン用パスワードを入力し、「次へ進む」ボタンを押してください―と出てきて、
サイドのパスワード入力を求められた!
(これにはムッとした)
ログイン時に1度パスワードを入力しているのだから、これは嫌がらせとしか思えない。

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さらに、さらに問題が出てきて僕は目を疑った。
「次に」進まないのだ。
クリックすると元の画面が出てくる。
まず「住所表示が違う」と指摘された。
(これは形式的な問題で、すぐに直した。しかしなおも前に進まない)
赤字で「以下の内容をご確認ください」と求められる!
業種、職種、役職、従業員規模の入力だ。


これらの項目は以前、『そこまで個人情報を提示する必要はあるまい』と思ってあえて空欄にしていたものだ。
今回、それを書かなければ「次へ進む」のボタンが前に進まないらしい。


本来ならここでばかばかしくなって、入力をやめる。
購読申し込みや、配信メール停止ごとき些末な事案で、なぜここまで執拗に個人情報が求められなければならないのか。
しかし思い返した。
『これはまあ、格好なネタではある』
いささか腑に落ちず、この新聞社の公式見解を求めたくなったのである。
指示通り穴を埋めるとようやくページが前に進み「購読者情報を確定する」のボタンが出てきた。
やれやれ。


これは一例である。
大半の日本企業が、メールの配信停止を(ユーザーにとって)「簡便な方法」で提供していない。
だからこの新聞社が格別ひどいわけではない。
どの企業もメルマガを発行している個人も五十歩百歩、すぐには解除してくれない。


だから実名を出すこともないだろうと思ったが、新聞社は常々「公器」を標榜している。
社会的な責任を認めているわけだ。
なので、“証拠の画面”をキャプチャーするとき社名にモザイクをかけるのをやめた。
繰り返すが、この問題に関して責任ある人の見解を伺いたい。


僕の考えはこうだ。
配信メールを停止させるために、今まで欠けていた個人情報の補充を求めるのは全く不必要な、意味のない行為である。
入力しなければ前に進めず、結果的に配信停止ができなくなる仕様は「法律違反」になる可能性が高い。


メールの配信停止は2クリックでできるはずだ。
「配信停止」のリンクをクリック → 確認
これなら2秒でユーザーの希望は完結する。


こういう対応をしないのは、ユーザー本位ではなく「会社の都合」で物事を考えるからだ。
それがしみついているから、ユーザーがこんな些末なことで腹を立てるなど、想像もしない。
しかしそれは、ソーシャルシフトの時代のサービス感覚としては、まったく危うい。
本来、クチコミは「話さないではいられない“何かよいこと”」があって勝手に生じるものだ。
その逆の場合、ソーシャルメディアを通じて短時日のうちに拡散していく恐れがある。
新聞社がサービス匂い「レベルが低い」のは日ごろの習い性のようなもので致し方ないが、配信メールが一発で解除できないのはまずい。


即刻の改善を要求する。



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ソーシャルメディアで企業への苦情をいうのは気が引けるが、きょうの事例はちとひどい。
怒っているのはセキュリティソフトの不具合と、企業側の対応についてである。
よーく聞いてもらいたい、と思う会社が2社ある。
Commufa(コミュファ)とシマンテック社だ。


まずコミュファについて。
同社は今、光回線をめぐってNTTなどと激しい陣取り合戦を繰り広げている。
わが家でも3社入り乱れて「回線を変えてくれ」「変えてくれ」とやかましく閉口した。
仕方ないので昨年、NTTからコミュファに変えた。
決め手は「マカフィー(セキュリティソフト)を5台のパソコンに無料でインストールできる」、という特典だった。


今回、「期限切れ」となったので更新しようとしたら「エラー」が出た。
有料版しか表示されないのだ!
何度やってもマカフィーの製品(有料版)しか選択肢に出てこない。
だまされた思いだが、やむを得ない(セキュリティなしのままは放ってもおけないので)
「有料版」を買うことにした。
ところが、その製品を“購入”したところ、最後のところで認証エラーが出る。
これも何回も試して、無駄な時間を費やした。


『こんなつまらないことで……』とストレスがたまる。
「もう、いい!」堪忍袋の緒が切れた。
コミュファのサービスはきっぱりあきらめて、昔から使っていたノートン製品に切り替えることにした。
しかし、きょうは本当にツイてない!
信頼していたこの会社にまで裏切られるとは……。

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3年間使えるというダウンロード版のセキュリティソフトを購入した。
メールアドレスはFacebookにした(最近はEメールをほとんど見ないので)。
カード決済が終わり、手続き完了の画面が出、『やっと終わった』と思ったのに、
画面に何の変化も起きない。
『ん?』
Facebookのメッセージ欄を開いてもノートンからは何の連絡も入っていない。
『どうやってダウンロードするんだ?』


途方に暮れてネット検索。
「ノートン サポート」で出てきたページを子細に点検して、何と最下段に小さく書いてある電話番号を発見する。
電話すると音声ガイダンスだ(これは非常によくあるパターン)。
こちらはオペレーターと話したいのに(緊急だからね)……。
所定のテーマと思しき番号を押すと録音で、「よくある質問にアクセスして」と来た。
掛け直しして、違う番号を押したがこれも同じ“回答”だ。
さらに違う番号を押すと、今度は電話番号をいくつか連続で告げた。
聞き取れやしない。
また書け直し。
それでようやくオペレーターの出てきそうな電話番号を知ることができた。


ただし「03」局番だから、静岡からは長距離の有料電話である。
つまりこの会社、入り口こそ無料の「0120」だが、そこから先は
「〈よくある質問〉で自分で調べろ」か、オペレーターに聞くなら通信料金は自腹で払え、というシステムを採っているらしい。


やむを得ない、この際だ、1万4400円も払っておいて「使えない」では話にならない。
電話すると初めて“肉声”が答えた。
あれっ? なんだかイントネーションが違う。
10分ばかりやりとりして、どうにかこうにか結論にたどりついた。
遠隔操作でソフトをこちらのパソコンにインストールしてもらうことにしたのである。
ほどなくして僕のパソコンが動き出した。


やれやれ、一安心。
「ところであなたはこの電話、どこで取っているの?」
「大連です」
「中国の?!」
そんな感じがしていた。
彼女は少しも悪くない。
遠隔操作してくれたHanさんという人も仕事は的確だった。
「ありがとう。助かりました」
書き込み欄でHanさんにはそのように書き送った。


しかし、しかしね、ノートン社に対しては苦い感情が残ったよ。
お客様サポートは、僕らのような素人には命綱である。
それなのに君らは「サポート」を“コスト部門”としか考えていない。
できるだけ避けて通りたい、カネを掛けたくない、がありありだ。
客に自腹を切らせ、人件費の安い中国に転送し、うるさい客の相手を異邦の女性の手にゆだねる。


ソーシャルシフトが進みつつある今日、可哀そうなくらいに意識の低い会社!!
顧客サービスで名高い米ザッポス社ほどのサービスをしろ、というのではない。
ソーシャルメディアの時代の消費者は、もはやマスの存在でもなければ、ただ買うだけの人でもない。
製品やサービスへの好悪の感情はあっという間に広がっていく。
だからこそ敏感な企業はクチコミをしてもらえる「感動のサービス」をしようとしているのに、ノートンは長年の客を裏切り、こんな悪評を流される結果となった。


最後に一言。
僕が買ったのは「ノートン360マルチデバイス ダウンロード3年版」だ。
なのにショッピングカートには「ノートンウイルス診断・駆除サービス3年版」も計上されていた。
なんの説明も注意もなく、3980円のソフトがさりげなく抱き合わされている!
こちらが「取消し」しなければ余計な料金まで半自動的に払わされたはずだ。
こういう商売の仕方は卑怯である。
即刻、やめるべきだ。


5台分セキュリティソフトがただ、といいながら客をだますコミュファもひどいが、
ノートンの対応もそれ以上にお粗末、低次元だった。
「日本のIT企業、大丈夫か?」と本気で心配になってきた。



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【筆者から】
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7月4日の参院選公示まであとわずか。
自民・公明らの与党勢力で3分の2を確保しないかと気になるところだが、維新の会の“自滅”で一時の高揚感は薄れ、急速に焦点ボケの様相を見せている。
こんなときこそ手練れの与党勢力は手堅く票をまとめて、アッと驚くような結果が出て(心ある)国民がほぞをかむような、嫌な予感がしないでもない。
ご用心、ご用心だ。


憲法論議は棚上げだろうというマスメディアの甘さゆえか、彼らの興味は「初めて導入されるネット選挙の影響はいかに」に移っているようだ。
NHKが全国会議員(717人)に聞くという大がかりな調査を実施した。
せっかくなので、のぞいてみることにした。


僕の結論を先に言っておくと、「???」だった。
ハテナ3重奏の意味は、国会議員はわかっていないな、分析するNHKも理解していないし、有識者もどこまでことの本質を承知して話しているのだろう―、という意味である。

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回答した国会議員の80%は「インターネットの活用のしかたしだいで自分の選挙結果に影響がある」と考えているようだ。
ネットの過大評価ではないか。
わけもわからず怯えているように見える。
ふだんの政治活動で活用しているネットは―
ホームページが97%、フェイスブックが69%、ブログが63%、ツイッター48%。動画サイトも30%が“活用”している!
本当か?
これだけ見れば、さすが日本の英知、選良(エリート)たちのメディアリテラシーは高いね、頼りになるねと思わせるが……。
僕にはどうにも水で薄めたカルピスみたいな感じしかしない。


「今度の選挙で特に力を入れたいもの」をNHKが聞いている。
円グラフに示した通り、Facebookが1位で29%、次いでブログの26%。
ここまではわかるが、Twitterがたったの6%だ。
時どきの流行に流されて議員さん(あるいは秘書?)、回答しているようにしか思えない。


はっきりいって、君たちのレベルで選挙にFacebookを使っても、票獲得には結びつかない!
Facebookは簡単に拡散しないし、拡声器のように連呼しても、誰も振り向かない。
Facebookで人を動かせるのは(言葉は悪いが)アジテーターの素質ある者だけだ。
明確なビジョンを短い、かつ具体的な言葉にまとめ、畳み込むようにグイグイと聴衆の心に分け入り、感情をわしづかみにする、『ああ、私がいいたかったのはこのことだったんだ』と思わせるような、わかりやすい言語をもつ者。
そういう人ならFacebookで短時日に“影響力”を持てるかもしれないが……。
幸か不幸か、そんなセンスをもっている人はいないようだ。


このような特殊な能力を持ち合わせていない多くの人は、長くFacebookを使い、粘り強く、誠実に、できないことはできないといい、できることにまじめに取り組んで1つひとつ結果を出して自分の存在、人となりを有権者に知ってもらう。
そういうオーソドックスな方法論しかないし、それが一番人の心をとらえ、勝てる方法だ。
付け焼刃は利かない!


付け焼刃は利かないことがわかる人にはわかっているのに、国会議員が腐心していることは①情報発信に必要な時間の確保(42%)、②熟知する要員の確保(34%)、③活用するための資金・経費(12%)-だ。
時間がないから誰かに発信を頼みたい → Facebookを分かっている人が見つからない → おカネも掛かりそうだ……。
そんな不安感が見て取れる。


もう一度はっきりいっておかなければならない。
議員自身の言葉でなくして、誰が感動し、共感し、熱烈な支援を送れようか!
時間がないから人任せにするなら、やらないほうがよほどましだ。
やらなければ“不誠実”を見抜かれるリスクもない。


6月29日現在の主要政党のFacebookページのファン数を調べてみた。
自民党が4万人。
あとはドングリの背比べだ。
自民党はさすがで「ネット選挙解禁」を主導したわけだ、といいたいところだが、どの政党も2ケタくらい少ないのではないか。
いかに今までFacebookに関心をもってこなかったか。
そして大慌てでFacebookページをつくったものの、「お客様」(有権者)を捕まえそこなっている様子がよくわかる。


さて、最後に言いたいことはこういうことだ。
国会議員は自らが「メディア」である。
マスコミを頼らなくても、発言は普通の人の何万倍もの影響力をもつ。
そのことを承知の上でソーシャルメディアを使うべきだ。
悪しき例だが、大阪の橋下徹市長の例を思い出してほしい。
彼は112万人のフォロワーがいるから「メディア」なのではない。
たかだか100万、視聴率なら1%にすぎない(庶民には夢の数字だが)。
彼をこういう存在にしたのは、発言を増幅して伝えるマスメディアがあったからだ。


この手法は、橋下氏でなくても使える。
佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は世に訴えたい政策をブログに書き、Facebookで伝えて記者にキャッチさせ、「ニュース」にしている。
政治家は常にメディアである。
拡散力でいえばツイッターはFacebookよりはるかにストレートに広がっていく。
そのメディアに関心をもつ国会議員は今や6%。
使いこなしができもしないFacebookに29%が関心を寄せる。
「お寒いね」と感じるのはそういうことである。


政治家はすでにメディアである。
その媒体は、ブログでもTwitterでもFacebookでもいい。
肝要なのは「言葉」だ。
言葉で伝える技術だ。
そしマスコミに耳をそばだたせるその発言の中身である。
それを忘れてネット選挙に右往左往していては、無駄なカネを業者に払うだけのことになろう。



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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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きのう、静岡県知事選で現職の川勝平太氏に投票したことを書いた。
結果的には108万票を取り、自民党候補に3倍の大差をつけて圧勝した。


僕は彼を支持する理由として、原発を直ちに容認することはないだろうということを挙げた。支持する理由は、ただその1点だ。
圧勝したから「どうだ、見たか。県民の良識が勝った」といいはしない。
勝った理由は、4年間の政策全般が静岡県民に評価されたということだろう。

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だから今後4年間は「浜岡原発再稼働」は封じ込められる可能性が大で一安心したが、県民投票になれば、また保守派が巻き返して、現実的な利を示して県民に揺さぶりをかけるだろう。
油断はならない。


きのうの投稿に友人の1人が
「今の福島原発でさえ解決できないのに何故推進するのか? 財界の金の亡者が金にものを言わせて動かしているとしか思えない」
とコメントをくれた。
この「財界」なるもの、実に怪しい存在だ。
にもかかわらずこの連中の言動は、世論、いやマスコミ世論に大きな影響を与える。
だから友に、以下のように書き送った。



この財界というのがクセ者だね。
大概はサラリーマン社長だが、競争を切り抜けてきた連中だけに、「会社の利益」にだけは敏感だ。
どうせ自分の代だけ業績が良ければ後は知ったこっちゃない。
それで「未来」や「人類」や「地球」なんて概念はそっちのけで安い電力を求める。
そういう連中が、わが物顔に口を開いては「原発再稼働」だ。
部下たちはそれで黙り込んでしまう。
もしくは、最初から考えないようにしてしまうか。


こういう臆病がサラリーマン社会を「気兼ね社会」にし、ものいえない会社、言ったら損な会社をつくり、閉塞感を感じる社会にしている。
だから僕は、ただ単に原発廃棄を述べ立てているんじゃない。
こんなことでもの言えなくなってどうするんだ、大人の意気地ない我慢が子供たちにも伝わり、「追い詰められた感」を深くして息苦しさを感じさせる、それで「いじめ」という形で動物としての弱さが出てきている、だから大人は勇気を持て、という意味でなんでも言いたいことをいっているんだ。


ジャーナリストとして、誰に投票したかなんて旗幟鮮明にしない方が公平で正しいように思えると思いますが、僕の考えは違う。
かっ達に自分の思いを語るのが僕の仕事だ。
「ジャーナリスト」などと肩ひじ張らんでも、ただ、現代を生きる人間として「ならんものはならん」と言いたい。
まあ、そういうことなんです。
コメントをありがとう。



以前にこのページで書いたことがある。
小動物は狭いケージで飼われていると、ついには共食いを始める。
学校や小集団(会社など)での「いじめ」はそれに近いのではないか。
人類という種が“行きつきかけている”というのが僕の持論だ。
(地球や生命にとって)在ってはならない存在の「原子力発電機」を文明の必需品であるかのように刷り込み、あれほどの災厄を経験してなおかつ「廃棄」を声高にも語れない、特殊でねじれた日本の現状は(ある意味)種の限界だな、と感じるのである。


人間がモルモットと違うなら、理性を取り戻してほしい。




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