<★よい病院、悪い病院──自分の命だ、患者も家族も真剣にならなければ守れない!>
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1月24日。
きょうは父の90回目の誕生日だ。
「卒寿」
卒の略字が「卆」であり九十と読めることから90歳を指すようになった。
家内とともに病室に行くと、きょうも眠っており、
目をあけても半睡半醒、意識ははっきりしないよう。
こういう記念日になるとは、思ってもいなかった。
父が脳梗塞で床に就くようになって、ちょうど3週間である。
病院でしっかり看ていただいている。
その点は安心で、感謝に堪えない。
とはいえ当初、医師との意思疎通の点でいえば至らない点があった。その原因を一言でいえば、医師と患者本人(というより本人に代わって医師と対面する患者家族としての私)との知識と情報の差が大きすぎて、会話になっていなかったことにある。
病院や医師には「よい病院」「悪い病院」、「よい医師」「悪い医師」という評価はあると思うが、みな一所懸命であることは信じていいと思う。
ただ、プロである医療従事者は患者の命を預かることがルーティンであり、慣れているから、不意の、驚愕すべき事態と突然遭遇することになった患者やその家族の意識と、著しいズレが生じることがあるのも確かだ。
また近年の患者や家族は権利意識も強く、医療側としては「防御的」にならざるを得ないという事情もある。
奥歯に物の挟まったような書き方をしているが、要するにカチンと来るようなすれ違いが医師との間になくはなかった。
だから批判めいた思いも持つこともあった。
しかし日が経つうちに冷静にもなって、相手の事情もわかってくる。
わかってくると、患者や家族もただ受け身でいればいいのではなく、医師や医療スタッフときちんと対話できるくらいの理解力をもてなければいけないことが分かって来る。
よい病院を求めるなら、私たちもよい患者・家族になるべきだとつくづく思う。簡単なことではないけれど、努力したい。