東京で電子書籍出版のポータルサイト『電本館』の取材を受けた。
といっても、それほどすごい話ではない。
電本館では電本の生成エンジンとしてスターティアラボという会社の「ActiBook(アクティブック)」というソフトウェアを使っている。
取材はスターティア社のホームページにActiユーザーを紹介するというものだから、PRの一種である。
でも僕は張り切った。
何しろ「世に出してもらえる」なら、なんだってありがたい。
無名の小さな会社の新規事業なぞ、まず注目を浴びることはない。
そう思っているから、これはチャンスである。

自分でいうのもおかしいが、珍しく熱弁をふるった。
インタビュアーは、そんなわけで素人である。
取材ならこっちがプロだ(いや、今回は“聴かれ手”なんだけど)。
先方が聞きたかったのは電本生成ソフトActiの魅力についてだったと思う。
が、僕が勢い込んで話したのは「なぜ電本なのか」だった。
これは何をおいても、強く言いたいことだった。
冒頭書いたように、僕らは“無名”。
無名のものが新規の事業を立ち上げる、いや、既存店が商売するのでも同じだ。
よほどの“看板”を持っていない限り、まず「知ってもらう」ことに血がにじむような努力をしなければならない。
ソーシャルメディアでも同様だろう。
みな多かれ少なかれ「知名度」を上げたい(個人であれ、店であれ、会社であれ)と思ってFacebookを使っても、ほぼ全員が「満足」というところにまでたどりつかない。
これは当たり前と言えば当たり前である。
しかし「当たり前」とあきらめたり、揶揄する人に現代社会は絶対に幸運をもたらさない。
人に知られるためには人一倍の努力が必要だ。
これこそア・ッ・タ・リ・マ・エである。
しかし、努力している人は大勢いる。
よい製品、よいサービス、高い技術はあふれている。
そういう時代に僕らは生きているのだから、実力を示したければ電本を書いてください、と僕は多くの人に説いて回っている。
すると多くの人はけげんな顔をする。
本を書く? 自分には関係ない……と。
僕は5分話してピンと来ない人には、それ以上説得しない。
わかる人は、電本館のビジネスモデルに3秒で驚嘆する。
だって、5万円で紙の書籍と同等のものを電子書籍にすると言うのだから。
これ以上のPRはやめにする。
どうせFacebookではこの手の話は、99%、律儀にスルーされるに決まっている。
「ジャーナリスト気取りの石川が、何を狂ったように宣伝するのだ」と言われるだろう。
いや、言葉に出して言いはしないね、心の中であきれるのだろう。
しかし心ある人は聞いてほしい。
無名でいいのか、時代に取り残され忘れられていいのか、業態を変えなくていいのか、工夫しなくていいのか、それをアピールしないでいいのか、あらゆる機会をとらえて声が枯れるまで、本気で(お客様を)説得しなくていいのか、ジリ貧で終わっていいのか。
嫌だと思うなら本を書いてください。
電本館は本を書かせて何百万円も要求するようなことはしない。
あなたの実力を証明する切り札、名刺代わりの電本を5万円から創る。
その本はあなたがその気なら、印刷会社にデータを持ち込めばすぐさま紙の本に変えられる、そういう電本だ。
本を書こうとすれば苦労する。
プロだと思っていても、人にプロの真価を伝えるのは難しい。
簡単に書けはしない。
しかしあなたは書かなければならないはずだ。
お手伝いは僕がする。
いやー、いくらFacebookでも、ちょっと言い過ぎたかもしれない。
しかし確かに僕はあの夜、インタビュアーにこんな風に語ったのだ。
あっけにとられていたけれど……。
この文章、僕の思い、届く人にだけ届いてくれればいい。
本を書くのは「信用の源泉」を手に入れるためだ、と僕は言う。
費用対効果を考えて(カネのことではない、掛けるエネルギーの多寡のこと)「ばかばかしい」と思うなら書かなければいい。
僕はステイタスのことなんか言っていない。
本を書いたところで一気にお客が増えることはないかもしれない。
一足飛びに有名にもならないだろう。
しかし、自分の実力の棚卸をしなくていいのか、本当の商品たるものなのか確認しなくていいのか、人に勧められるか、誇りを持てるか、前進していると言えるのか……、そういう大切なことを気づかせてくれるのが「執筆」という作業だ。
僕は生きている間に、1000人の著者を全力でサポートしたいと思っている。
きょうこの文章が書きっぱなし、スルーされっぱなしに終わりませんように。
願いつつ、檄文おわり!
(ジャーナリスト 石川秀樹、「電本館」あるじ)