★「2020東京五輪」決定、若者世代の熱狂に思ったこと | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


2020年夏季五輪の開催地が「東京」に決定した。
「おめでとう!」と素直に言えない思いでいたが……
娘からメッセージが入って気持ち動いた。


祝!(*≧∀≦*)東京オリンピック!!
招致レースをリアルタイムで見てしまった~!
やったー!


実は僕も明け方からテレビで招致レースの推移を見守っていた。
マドリードが落選した段階で、
『東京が勝つな』ということはわかった。
5時20分、ロゲ会長が紙を表にしながら言った。
「Tokyo!」
会場は歓喜、やがてテレビカメラが次々各地の様子を映す。
観ていて、やはりこみ上げてくるものがあった。


そんな折、Facebookで娘の素直な喜びように接し、
マイッタ!


思えば、若い世代は1964年の「東京オリンピック」を知らない。
新幹線が開通したのがこの直前。
ゴールデンシックスティーズ(高度成長)を経て
70年の大阪万博(人類が月に立ったのはその前年)。
78年の石油ショックで経済は一頓挫したが、
狂乱物価時代をあっという間に吸収して
90年のバブル景気まで、
僕たち世代は右肩上がりの時代を生きてきた。
すべての起点が「東京オリンピック」であったような気がする。


人生の後半、
バブル崩壊から失われた20年を経験。
95年を機にインターネットの本格普及、
2000年を挟んだITバブルとその崩壊、
そして今も続くデフレの時代を生きている。
自然災害も、95年の神戸の震災、
2011年3月11日の東北地方の大震災、
同時に起こった原発事故の不気味な不安も目の当たりにした。


僕ら戦後世代(昭和20年以降の生まれ)は、押しなべて
<戦争を知らない子供たち>と呼ばれてきた。
戦争というカタストロフィーを除いて、
僕らは良いことも悪いこともすべて経験している。
「明るい未来」を信じて生きた期間が圧倒的に長い。


しかし昭和末から平成以降生まれの若い人たちは、
社会の閉塞感とともに生きてきている。
古く懐かしい“良き昭和”の時代を知らない。
2001年の小泉純一郎内閣誕生の熱狂を経て、
終わってみればかつてない“格差社会”が生まれていた。
社会の恩恵どころか、就活に翻弄され、
一方では少子高齢化、公的年金は危ういとされ、
超長寿社会の真っただ中で、
“支え役”としてのみ期待されている。


同じ「戦後世代」なのに前期と後期で、
かくも見えている光景が違う。
きのう僕は戦後生まれ前期世代の視線で、
フクシマを忘れた五輪狂騒曲に冷えた言葉を浴びせた。
指摘は正しかったと思う。
しかし、若い世代が「東京オリンピック」にどういう期待感を
持っているかについては、まるで想像できていなかった。


若者には夢を見る権利がある。
未来は明るい信じ、希望を抱く権利がある。
「東京オリンピック」がその起点になり、
若い人たちがそう直感できるのだとしたら、
僕たち世代はそれを応援すべきだ。


「震災から復興した日本を世界の人に見てもらう」
それは東京のみの反映ではないだろう。
被災地の幸せ再興がなければ“復興”とは言わない。
オリンピックを見た後、東北観光に赴けるほどの回復を果たす。
日本ならできるはずだ。
そのとき、世の重苦しい空気にも陽が差し、
さわやかな風が吹くかもしれない。


56年前とは別の“マジック”を見せてやりたい。






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【筆者から】
このブログの元になっているのはFacebookへの書き込みです。
主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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