高校が舞台になっているTVドラマを観ると、いじめがテーマにならないときがない。
まことにワンパターンな日本!
いじめる側は巧妙だというが、いじめの主目的が人を支配し、金をせびり取るところなぞは、まさにパターン化している。
精神がケチくさく、次元が低い。
いじめる側にも何か事情はあるのかもしれない。
生まれながらのサディストや犯罪者予備軍のような者も中にはいるが、多くは、自身何か心の憂さを抱え、荒れているようにも見える。
そういう者は、きっかけを与えてやればまともな人間に回帰する可能性はある。
しかし今は、いじめ加害者の心を救うより、被害をなくすことの方が先だ。
リーダーになるような者は、それなりに集団を率いる素質があり、まあ才覚もあるのだろう。
今は直接手を下すより、陰で君臨して「空気」とやらを操る。
実につまらない才の使い方だが、社会や会社自体が閉塞している日本では「その場の空気」とやらに染まり、自分のランクを気にしてしまう。
子供じみた幼稚な世界観だ。
が、いじめの標的になりたくないばかりに教室がコントロールされる。
どこから見てもばかばかしい無価値なことにエネルギーを使うなら、起業でもしたらどうだといいたくなる。
アメリカならそういう人はいくらでもいる。
なにが「空気」だ。
そんなことをいっているからこの国は20年間も停滞しているんじゃないか。
教師もそう。
国や県や市町村が丸抱えする発想をいい加減に捨てたらいい。
つまらない集団の中で出世を思うからスクールカースト上位の生徒にこびて、愚かなゲームにうつつをぬかすのだ。
教師も外部委託し、プロを雇えばいい。
出世競争などやめてさっさと独立し「先生会社」を作って高く技術を売りつける。
生徒も教師も教育委員会も発想を変えなければだめだ。
現体制でいじめをなくせないなら、体制そのものを変えるしかないではないか。
以上はもちろん極論だ。
片隅から何を提案しようが、聴く耳持つ者はいないだろう。
しかしこれだけはいえる。
学校や教室が閉塞状態にあり、それを誰もただすことができないなら「行かなくていい」ではない。
行ってやるだけの資格が学校や教室にはない!
社会の大方の価値観がサラリーマン風に染まっている。
それもメディアが戯画(カリカチュア)のように作り上げたカビの生えた階層社会風に。
牢屋の囚人じゃあるまいし、小権力を取りいって弱い者をしいたげて何とする。
ご近所も、会社も、学校も、ものを言えば唇が寒いようではお先が知れている。
戦後68年、私たちは何をやってきたんだか……。
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【筆者から】
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ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。

