★教育は人を見てする 体罰は「教育」に未熟な者の蛮行だ | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


いま静岡県では県立浜松、(浜商)の体罰が話題になっている。
同校は、男子バレー部などで体罰が行われていたのに県教委に報告していなかった。
その後調べたところ、教諭や講師9人による体罰事案が13件あったことが判明した。


浜商といえば、野球部がセンバツ優勝するなど地元ではスポーツの名門校として通っている。
体罰は水泳、バスケットボール、バレー、陸上、野球の各部で行われていた。
文化関係では1つもない。
みなさん、『そんなの当たり前』と思うかもしれないが、僕の考えは違う。
体罰といい、暴力といい、起こるのはスポーツの部というのは、この蛮行は「日本のスポーツ界」における特殊な文化(いや、「文化」といわれるほど高尚なものではない!)、特殊な悪弊というべきものだ。
熱くなる土壌があるのであろう。


僕の家は中学校のグラウンドのすぐ前にあるので、生徒たちの掛け声や歓声が聞こえる。
それに混じって、毎日のように部活であろうか、それとも体育の時間だろうか、教師の怒鳴り声が聞こえてくる。
書くに値しない「悪罵(ののしり声)」である。
これが15歳にもならない少女たちに浴びせる言葉なのかと思う。
体罰とは少し違うが、パワハラである。
教師が熱くなってどうする!!
生徒たちは懸命に声を出し、グルグルとグラウンドを駆け足しているではないか。
なんの不足があって“気合”(とこの教師はいいたいのだろう)をかける。
こういう怒声を聞いていると、僕は『こいつ、陰では生徒をぶん殴っているんじゃないか』と疑ってしまう。


気合をかける程度のことで試合が強くなるなら、指導者なんぞいらない。
「指導」というなら頭を使え、経験を惜しみなく生徒たちに教えよ、と思う。
それも懇切ていねいに、わかるようになるまで粘り強くだ。
「手前(てめぇー)でキレてどうするよ」と、僕なんか下品で気が短いので教師を面罵したくなる。


怒りに任せた鉄拳は教育ではない。
ただの暴力であり、幼稚な“指導法まがい”にすぎない。
生徒を教え導き、自分の最大限の力を引き出させる技術(教育論)をもたないことの裏返しにすぎないのだ。


僕が小学4年のとき、友達と共に悪さをして先生に見つかった。
先生はなぜその行為が悪いのか僕らを諄々と諭したうえで、頭にゲンコツをくれた。
脳天に響くほど痛かったが、先生の思いは伝わった。
これを「体罰」だとは思ったことがない。
ただ、悪さに対する応分の罰を受けたのだと思った。
至極公平なことで、子供にもわかる理屈だった。


中学3年のとき、つまらない子供だったので、テストの時間中、下敷に書いておいた公式を盗み見ていた(つまりカンニングだ)。
そばに人の気配がするので顔を挙げると、横から先生が僕だけに聞こえる音量で
「公明正大にやりなさいよ」といった。
顔から火が出るように恥ずかしかった。
テストは普通に採点され、親に報告されることもなかった。


いまFacebookでこんなことを書いたり、会社でそれなりの役割を果たすことができたのも、この先生のおかげだと思っている。
人を矯正するのは体罰では果たし得ない。
心を込めた一言、子供の性格や将来性を考えた瞬時の判断が、人の人生を変えることもある。
そういう“技術”のことを教育というのである。


体罰は、教育に未熟なものの蛮行だ。




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【筆者から】
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主にFacebookページ「ジャーナリスト 石川秀樹」に投稿しています。
ミーツ出版(株)という小さな出版社の社長をしています。61歳で行政書士の資格を取り開業しました。さらにこの数年は「ソーシャルメディアを愛する者」としてFacebookで熱く語り続けています。ブログは私の発言のごく一部です。ぜひFacebookページもご覧ください。コメントをいただけたら、こんなにうれしいことはありません。


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