★元寇を退けたのは政治の力 こんな時期だからこそ高橋克彦の「時宗」を読む | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


高橋克彦の『時宗(ときむね)』全4巻を読み終えた。
最近、元寇の沈没船が長崎県の海底で発見されたと聞き、あらためて興味を持ったのだ。
「元寇」は、日本は神国だから神風が吹いたという”神話”がつくられる元となった事件だが、読後感は『そうだったのか』の連続。
刷り込まれた常識を木端微塵に砕いてくれた。


『時宗』とあるが、2巻までは時宗の父、北条時頼の物語である。
陰謀により毒を盛られた兄に替わり、時頼が急きょ鎌倉幕府の執権に就いたのは1246年のこと。
この時代、「日本」という概念や「この国」という認識は武士たちにはない。一所懸命、ただ自分の領地のことのみしか眼中になかった。上も同様。将軍はすでに名目的な存在と化し、実権を取り戻さんと陰謀に明け暮れる日々。執権は北条家の家長的な意味だが、御家人の中の筆頭が北条であるが故に幕政を握る立場にあるに過ぎない。執権といえどもさまざまな勢力による思惑や陰謀に翻弄されていた。
そんな状況の中、大陸では蒙古が台頭、高句麗を襲い、宋にも迫る勢いとなる。
まつりごとの筆頭にいる時頼には、国が1つにまとまらなければ蒙古に滅ぼされることが分かる。

hidekidos かく語り記


この辺の発想は作家・高橋克彦の解釈であろう。
明治維新は、多くの志士により「外圧」を認識できた。藩のことしか考えなかった者たちが、最後は「日本という国」を意識し時代を前に進めた。
それより600年以上も前に同じ発想にたどりつけた男、それが高橋描くところの時頼だ。
それが事実だとすれば、あの時代に時頼のようなリーダーをもてたことこそが、「神風」以上にこの国の奇跡である。
北条の内紛を武力を持って制圧し、朝廷(将軍、背後にいる上皇や公家勢力)との神経戦にも勝利して北条執権体制を盤石にする。


しかし時頼は37歳で病没する。
跡を継いでいくのが時宗である。
フビライ率いる元の圧力が増す中、18歳で第8代執権となる(1268年)。
ここから若きリーダーは、元を打ち負かすための周到な戦略を立てていく。
名目権力の朝廷を前に立て「鎌倉」の存在を秘したり、高麗での諜報活動、敵を上陸させるためのニセ敗走作戦…。それに加えて、武士軍団の命を惜しまぬ奮闘。これらにより、文永の役(1274年)を互角に戦う(嵐で壊滅するのは高麗に撤退するときのことだ)。
さらに5年後の弘安の役では、海岸線に馬防柵を張り巡らして安易な上陸を許さず、海上でも奇襲攻撃を成功させる。鎌倉側の総兵力も15万人を結集、対等以上の戦いができる体制を築いていた。
そんな時に暴風雨が襲った。上陸もままならず海上に釘づけになっていた10万の元の戦力はこれで壊滅した。
ところが、時宗はこの天祐を喜ばなかった。
実際に戦って敵をせん滅させてこそフビライをあきらめさせることができる、と思っていたからだ。


それを戦前、戦中の歴史は”神風”と呼んだ。
神国だから”奇跡”の勝利がもたらされたのだとした。
高橋史観とは天と地ほども違う。
日本が侵略されずに在る(太平洋戦争後のGHQは除く)のは、天の助けによるのではない。
その時代に、傑出したリーダーがいたおかげである。
親子2代の揺るがぬ心を持った執権がいなかったら、600年前に日本は元の属国になっていた。


■   ■
リーダーシップとはなんだろう。
まつりごとは何のためにあるのか。
すべての民を、異民族支配やこの世の理不尽から守るためにあるのではないか。
さわやかな読後感の後に感じるのは、今の日本の政治のていたらくである。
国民のためではなく、おのれの延命のためにのみ在る政治は、政治とは言わない。ただの談合・野合である。

痛憤を禁じ得ない。




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