facebookがくれた「特別の一日」 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



2月7日。きょうは特別の日になった。
朝から暖かい春の嵐が吹き荒れていた。激しい吹き降りの中を出社した。 朝の仕事が一段落して、iPhoneでfacebookを見て驚いた。
いつものそっけない僕のタイムラインが、数え切れないほどの
「誕生日メッセージ」で埋まっている。


みなさん、本当にありがとうございます。
生涯の中で、これほど多くの方々に祝福をいただくのは初めてのこと。
何か自分が「大切な人」になったような気分だ。


62歳になった。
そして、この誕生月を最後に、39年間お世話になった会社を退職する。
温かいメッセージと、時ならぬ春の嵐と………
何やら次のステージへの予兆は、何と表現すればいいのか、期待と不安に満ちている。


昨年12月、「facebookの本を書く」と宣言した。
確かその前から、出版社立ち上げの気持ちをつぶやいていた。
すべて「予定」であって、進行形であり「完了」には至っていない。
会社の日常業務に追われて、準備もなかなか進まない。
会社の登記、出版コードの取得、取次ぎ会社との契約、書店へのあいさつ…、
これらは退職後にやるしかなさそうだ。


1月30日、昨秋受験した行政書士試験の結果が発表になった。
無事に合格
こちらも開業の準備をしなければならなくなった。


共に、まったく新しい仕事だ。
「両天秤」はきついぞ。
ところが、3つ目のやりたいことが生まれてきた。
記者に立ち返りたい! 無論、在野で。
そんなに欲をかいて、どうするのだろう。見当もつかない。


出版社と行政書士は、ツイッターとfacebookで公言してきた。
すると、なぜか褒められてしまう。
「すごいですね」「アグレッシブ!」「前向き」「意欲的」…。
には違いないが、言われるたびに違和感を感じた。
『まだ、おれは何もしていないのに…』


当時していることと言えば、会社のルーティンワークであり、
ツイッターでつぶやき、フォロワー獲得に一所懸命になること、
facebookでは朝の投稿を半ば義務化し、そして、
眠くなる自分を叱咤しながら、夜は受験勉強にいそしんだ。


先日、長男が珍しく褒めてくれるので、照れ隠しに、
「勉強することは楽なんだよ、頭に詰め込むだけだから」と言った。
すると「お父さんにとって勉強は“遊び”なんだね」と、ムッとした顔をされた。


息子よ!それは違う!!
この歳で法律の勉強をするというのは、忘れていく自分との戦いだ。
楽なわけはない。しかし、命を取られるほど辛くはない。
10回忘れれば、11回覚えればいいだけのことではないか。


ツラいと言えば、重責を担った日々のほうがはるかに苦しかった。
この1年間もまた。全く新しい部署で、仕事も知らず、人も知らず、
若い人と同じ実務をこなそうとすること、これは大変だった。


しかし、人はそれを「大変」とは言わない。
やって当たり前、できなければ迷惑をかけ、嫌な顔をされるだけ。
だれもヒーローのように褒められることもなく、黙々と仕事をこなす。


だから、60歳で難関試験に挑戦することは自分の都合であって、
挑戦そのものが賞賛されるべきではない。
「違和感」とはそういう意味だ。


合格を果たし、ようやくひとつ「形」にすることができた。
たったひとつだが、ここに至るまで僕は大きく変わった
何が変わったかと言えば、「意欲」「やる気」が出てきたことだ。


息子にははぐらかした言い方をしたが、尋常な努力ではなかった。
休みの日には1日10~12時間、机に向かう。
家内と旧婚旅行に沖縄に出かけた5日間を除き、1日も休まなかった。


習慣が変わり、自分が変わった
facebookはそんな日々の中で始めた。
だから朝投稿し、昼間は「いいね!」を返すだけ、
ほぼ発信のみという、まことに失礼な使い方になっている。


そんなに勉強が大事ならツイッターもfacebookもやらなければいいようなものだが、
割り込ませなければならないと思っていた。


ソーシャルメディアはまだ生まれたばかり。
facebookは実名メディアとあって、日本では戸惑う人も少なくない。
そこを超えなければ個メディアは根付くことなく立ち枯れてしまうだろう。
そう思うから、(独善もいいところだが)『俺がやらなければ』と焦る。
これも自分の中に生まれてきた変化の一つだった。


はじめは、試験に合格するのが目的だった。
そのうち、手に余るほどの目標が生まれてきた。
出版をやりたくなった。自分自身、書き手としてもやりたい。
ならば、ジャーナリストであり続ければよいではないか。


こうして、思いはどんどん膨らんでいく


実は、まだある。
家には寝たきり状態の母がいる。
家族全員で介護をしている。本格参戦しなければならない。
父と家内は書道の先生だ。
父、86歳、現役である。妻、60歳、あぶらがのってきた。
こちらの事務と車の運転も、僕の役割になりそうだ。


5つの仕事、共通点がないみたいだが、自分の中では一貫している。
ジャーナリズムの魂、とでも言うべきものである。
もっと平たい言い方をすれば、義を見てせざるは勇なきなり!!


地方紙の記者や編集者でありながら、行動してこなかった
「客観報道」を表向きの理由にしながら、ものぐさ、かつただの傍観者だった。
ソーシャルメディアにかかわるようになって、自分の弱点を再発見した。
現場を見ていない「論評」にすぎないのだ。
行動する人が目にし、耳にし、感じたものとは比べものにならない。


会社にいる、身動きが取れない、勉強しなければならない。
確かに動けない理由ではあるが、“本物でない”感がつきまとう。
これからはすべて「自分で采配できる時間」を持つことになる。


ひとり5役(ソーシャルメディアまで入れれば6役)、どこまでできるのか。
確信はないが、精一杯やりたい。
20年はやれるだろう。どこまで行けるか。わくわくする。


誕生日のメッセージをいただき、僕はそんなことを考えていた。




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