水戸黄門 新たな不老不死伝説 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。


7月の番組改編で「水戸黄門 第43部」の番宣担当になったため、
おそるおそるFacebookで「黄門さま」のことをつぶやいた。
番宣(番組宣伝)というのは、視聴率に一喜一憂する仕事、
「ミリ」でもいいから成果を挙げたいのが人情だ。
そこでFacebookにつぶやき、反響のあるなしを確かめたかったわけである。


(本論に全く関係ないが、「Facebookに書くこと」を何と表現していいのだろう。
そこで僕は「ツイート」「つぶやく」を使うことにする。
つぶやくと言う感じが、肩の力が抜けてちょうどいいのだ)


思いがけず大勢の方が反応してくれた。
42年の長寿番組、みなさんそれぞれに自分の思い入れがあるようだった。
僕は僕で、「水戸黄門」という番組の長寿性について奇妙な想念が浮かんだ。
それは、俳優には寿命があるが「役」には死がない、という感慨である。

hidekidos かく語り記-古木


■役の寿命と俳優の寿命

今のテレビ番組は1クール=1シーズン、回数にして11、2回がせいぜいだ。
長寿など想像さえできない。
それでも、たまさか、ヒットする番組がある。
すると続編が出る。「○○○○2」といった形。


さてここで、本当に運よく生き延びロングランとなる番組が問題になる。
これは映画でも、コミックでも同じだ……。
つまり「ストーリーの寿命」と「人間の寿命」との乖離が生じてくる。


人気がある限り、制作側は番組を続けたい。
一方で、「いつあきられるか」という怖さもある。
続けたいけど、終わらせたい、それが制作者たる者の本能だろう。
独断と偏見ありの見解だが、
劇的な解決策を編み出したのが『太陽にほえろ』であった。


■犬死パターンをつくったショーケン

このドラマ、1972年制作で僕が就職活動をしていた時期なのでよく覚えている。
七曲署捜査一係の藤堂係長(ボス)が石原裕次郎、新米デカ(刑事)のマカロニが萩原健一。
事件を追うより刑事そのものの人間性を描き、安定した視聴率上げた。
しかしマカロニのシリーズは、主人公の死により1年であっけなく終わる。


ショーケンは通り魔強盗に刺され殉職…。
犬死である。『同じ死ぬでも、もう少し芸があろうに』と思うが、
この結末はどうも、ショーケン側が望んだらしい。
理由はどうあれ、視聴者にはショックが残った。
しかしこの衝撃は、(計算通り)番組にとっては「吉」と出たようだ。


2代目のジーパン刑事、松田優作は新人ながら、この番組で圧倒的な人気を得た。
その”退場”の仕方もショーケンにならう。
確か、立小便中に刺されるという不条理な(意味がないという意味で)死だった。
以後、新人刑事を死なせながら番組は16年の長寿を誇った。


マカロニの死に出合ったとき、「このパターン、どこかで見たような」と思った。
そうだ、『あしたのジョー』の力石徹だ!!
高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画によるボクシング漫画。
これも学生運動盛んな70年代、
「学生が漫画を読んでる」と批判された作品だが、熱心に読まれた。


ジョーの永遠のライバルと目されていた力石の死、
読者にとっては青天の霹靂(へきれき)、見事に裏を書かれた。
その衝撃たるや、同時代を生きていない限り理解されないと思うが、
学生たちは日大講堂で力石徹の葬式を挙行した!!

hidekidos かく語り記-七夕


■心やさしき長寿作品たち

主人公を殺さないパターンもある。
映画で言えば、フーテンの寅、渥美清の『男はつらいよ』が代表だろう。
松竹によって1969年から1995年までに全48作がつくられた。
特別編が1997年に作られているから足掛け28年。
ここでも主人公の加齢が問題になる。


寅さんがエラかったのは、潔く歳重ねた点だ。
第1作で、妹さくらの結婚が決まったから、制作側は当初から
出演者がリアルに歳をとっていくことを計算に入れていたのだろう。


主人公を死なせる代わりに用いた手が「失恋」である。
盆・暮れ、律儀に寅さんは新しい人に惚れ、恋やぶれていく。
そして作品の新陳代謝は続く。


コミックでもこのパターンはある。
水島新司の野球漫画『あぶさん』である。
1973年から『ビッグコミックオリジナル』に連載、景浦安武はいま何歳になるのか。
実在の人物とあぶさんの世界とをないまぜにしながら、ストーリーは進む。
この場合の狂言回しは「プロ野球」の現実そのものである。


■歳をとらないサザエさん

こうして挙げてみると、長寿作品は長寿なりの苦労をしている。
「歳をとらせない」と決めれば楽なようなものだが、
その場合は、1回1回が勝負でそれはそれでしんどかろう。


漫画で言えば『サザエさん』。
戦後すぐ福岡の地方紙に掲載され、やがて朝日新聞の朝刊漫画に。
今はテレビアニメになり、作者長谷川町子の死後も、主人公は行き続けている。
このパターンは『クレヨンしんちゃん』も同様である。

hidekidos かく語り記-空


■代替わりを許す「勧善懲悪」のパターン


さて、『水戸黄門』の場合だ。
43シリーズ、1969年10月から足掛け42年に及ぶ長寿番組になろうとは。


初代の東野英治郎はともかく、2代目の西村晃、佐野浅夫もすでに故人。
4代目石坂浩二は病気で短期降板。
元々、役柄が高齢であり高齢の役者を起用するから、仕方ない面がある。


しかし、ドラマは続く。
42年と言えば、脇役だって老けていく。
助さん格さんも6代目。
風車の弥七、由美かおるの入浴シーンも代替わりした。


黄門さまひとり、こうまで生き続けられる理由はと言えば……
マンネリ、ワンパターンと揶揄(やゆ)されようが、
「勧善懲悪」という確固たるパターンがあるためだと思う。
揺るぎないドラマの芯がある。


■「野暮は言いっこなしだぜ」

ここで敏い(さとい)人から、『鬼平はどうだい』と言われたら、
僕はおおいに困る。
『鬼平犯科帳』も勧善懲悪だった。
しかも、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵役は中村吉衛門をおいてほかにない。
なんぼなんでも、この番組に代役はたてにくいだろう。


では黄門さまとの違いはなんだ?ととわれたら、
「野暮は言いっこなしだぜ」と返すしかない。


長寿の番組、僕は好きだ。
好き嫌い以前に、いまみたいに視聴率が「天下御免」でのさばっている時代には、
長寿すること自体がほとんど奇跡みたいなものだ。


ドラマの世界にシリアス、リアリティを好む向きからすれば、
僕が言っていることは暴論だろう。
はばかりながら、そんなこたぁー百も承知。
僕は主人公を殺すストーリーが大嫌いなんだ。


一所懸命にヒーローに肩入れしてきた自分がかわいそうになる。
作者は「生殺与奪の権」を握っている。
どう書いても自由だ。
それをわざわざ死なせるのは、へぼ作者に決まってらァー。(僕の悪態)


幾多の危機を乗り越え、43部、42年間も生き抜いてきた黄門さまには
国民栄誉賞を贈りたいくらいのものである。




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