震災前と震災後 | ジャーナリスト 石川秀樹

ジャーナリスト 石川秀樹

ちょっと辛口、時どきホロリ……。理性と感情満載、世の常識をうのみにせず、これはと思えばズバッと持論で直球勝負。
3本のブログとFacebook、ツイッターを駆使して情報発信するジャーナリスト。
相続に強い行政書士、「ミーツ出版」社長としても活動中。



東日本大震災の前と後とで、僕は感じ方が変わってきた。

変わってきたと言うよりも、何かもっと深い確信がある。

変えるべきなんだ。



4月14日(木)の夜、ツイッターで初めて

シンガーソングライター斉藤和義を知った。

ヒット曲『ずっと好きだった』の歌詞を替えて、彼はこんな曲を歌っている。



この国を 歩けば 原発が54基
教科書も CMも 言ってたよ 「安全です」
俺たちをだまして 言い訳は 「想定外」
なつかしい あの空 くすぐったい 黒い雨
ずっとウソだったんだぜ やっぱ ばれてしまったな
ほんと ウソだったんだぜ 「原子力は安全です」
ずっとウソだったんだぜ ほうれん草 食いてぇな
ほんと ウソだったんだぜ
気づいてたんだろう この事態
風に舞う 放射能は  もう止められない
何人が被爆すれば 気がついてくれるの?
この国の政府
この街を離れて うまい水 見つけたかい?
教えてよ やっぱいいや…
もう どこにも 逃げ場はない




言うまでもなく、原発反対ソング…

以前の僕ならこの曲を聴いても、何も感じなかったろう。

しかし、斉藤和義のアコースティックギターの音色と歌声を聴いたそのとき

僕は「百万言費やすより、説得力がある」と感じた。



自分自身の心の変化をいっそう感じたのは、YouTubeで次の動画を見つけたときだ。

hidekidos かく語り記-家族2
hidekidos かく語り記-家族1


武田薬品のテレビCM「おつかれさまです。アリナミン」編

いつもの日常のさまざまな光景…

その最後に、疲れきったお父さんが列車から降りてくる

駅頭で迎える家族が手を振る。お父さんが気がついて笑顔に…

ただそれだけのことに、僕は不覚にも涙を流した。



かけがえのない日常なんだ。誰にとっても!



その日常が、ある日突然奪われた。

なんの理由もない。何の落ち度もない。

大きな地震が起こり、津波が来て、人々をのみこんだ。

それを目の前で目撃した人たちがいる。

僕らは、遠く、安全で、暖かな場所で、それを、映像を通して見た



そして日本には、被害者と、被災者と、

(自分を含め)被害者でも被災者でもない多くの人たち、とがいることになった。

この3者の意識は、分断されているように感じる。

映像を見た者はみな、心のどこかで傷ついている。

安全な自分、何もできない自分に対して、罪の意識さえ感じている。



しかし僕たちは変わらなければならない。

被災者もそうでない人たちも、変わらなければならない。

もっと強くなるんだ。

ナイーブなやさしさより、性根を据えて立ち向かうこと。



長い、長い、復興の道のりだ。

あの日常を取り戻すために僕たちは歯を食いしばる。



きのう、菅首相が「時限付き復興消費税」を口にした。

ようやくこの国のリーダーたるべき男が口を開いた。

どうせ火だるまになると思う。

今までが弱すぎたから。保身ばかりだったから。

首相のみではない。政治家は誰も明確な方針を示していない。

「こんなときに自分の身を守ってどうする」と、誰もが思っている。




火だるまになっても、前言を翻してはならない。

復興には巨額を要する。

国民が負担する以外、誰が出してくれるというのか。

震災以前、批判は自由だった。

これでもかというほど人々は政治家をこき下ろした。ばかにした。

震災後僕は、正しい判断なら批判しない。

黙って受け入れる。




エネルギー対策として原発を推進した政策は正しかったろうか。

間違っていた。

だますつもりがあったかどうか知らない。

しかし、今の福島原発の惨状を見て、誰も正しかったとは言えないだろう。



断固として「脱原発」に舵を切るときだ。

原発は安全だと喧伝してきた。

津波のひとのみでその神話は破綻した。

破綻した後なら分かる。

理論的に安全でも、人は技術的にそれを実現できない。

現場の製造技術、建築技術や施工技術はお寒いものだ。

それを正しく指摘できる専門家さえいなかった。



震災前、原発が安全かどうかは「論争」だった。

震災後、ただ一つの事実を指摘すれば足りる。

原発は安全ではなかった。



現代人は地球環境に対しても責任がある。

長い間、原発はその流れに沿ったものでもあると言いはやされてきた。

だまされたとは思わない。

しかし震災後の今、その言は説得力を失った

私たちは、そこから出発しなければならない。



震災前と後とで、僕の意識は明確に変わった。

今を生きる者としての責任を、強く感じる。

受け入れるべきは、受け入れる。

そして、

「ノー」と言うべきときは「ノー」と言う。



それは、今を生きる人間として、将来生きる者たちに対してできる

ただ一つの誠実だからだ。


ペタしてね  読者登録してね