今日は東日本大震災から6年目

 

上の写真は

2011年3月11日 東日本大震災の数年後の防災対策庁舎の写真です 

最後まで「高台に避難して下さい!」と午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課、町職員(24歳女性)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握りました(津波で残念ながらお亡くなりになりました)

この、悲惨な建物の跡を 残すかどうかは県民の意見も分かれました(津波を思いだす 維持費がかかるなど)

2015年6月30日、南三陸町民のパブリックコメントの結果(保存賛成6割)及び町議会での請願(保存)の全会一致での採択もあり、南三陸町長は県有化を受け入れることを表明しました

このことにより、防災対策庁舎は2031年まで宮城県が管理(保存)する事となりました

 

この上の写真は、東日本大震災から数年後に撮影したもので、今は管理保存するため、骨組はオレンジ色の防腐剤が塗られ、骨組みは変わりませんが、綺麗になってしまい当時の悲惨さは大分無くなってしまいました この写真は二度と撮影する事は出来ません

 

下の写真は、宮城県仙台市では最大の仮設住宅

今はもう更地になり有りません

(しかし全体では避難者数は復興庁の最新の報告でも12万人も居るのが実情です)

この写真も現在撮影しようと思っても撮影する事は不可能です

 

東日本大震災から6年目、「商店街が再開」などと全国ネットで報道されますが、全体から見れば一部にすぎないのが現状です

 

ヘリコプターからの被災地海沿いを見ると、かさ上げ工事等は進んではいるものの、家が建つこともなく茶色い土が大きく広がっています

 

「写真は記録する力を持っている」 という お話をさせて頂きました

 

※被災地は鉄道等のインフラも整ってきていています

綺麗な撮影ポイントも沢山有ります

被災地を数多くの方が訪れる事が復興の大きな力にもなります

被災地にも出かけていただいて、写真を撮って頂ければと思います

その写真は世界に1枚しかない写真となります

 

※2011年3月11日の津波の高さ 大船渡市で観測された津波と同じ高さ16・7メートルの位置とIT大手ヤフーは東京都中央区銀座のソニービル壁面に、岩手県大船渡市を襲った津波の高さを示す巨大な垂れ幕を設置しました

残念な事に、昨年11月の福島県沖を震源とした地震直後に、東日本大震災の津波浸水域となった旧石巻市で避難した住民は4割にとどまったことが、市などが実施したアンケートで明らかになりました 避難先への移動手段も、車が過半数となってしまいました(3.11の際、車で非難し渋滞がおこり逃げ遅れてしまった方が数多くいました)

津波は巨大津波だけでなく、ひざ上を超えて波が襲ってくると、立ってはいられないと言う話も有ります 津波を安易に考えてはいけないといけないという事だと思います

津波情報が発表された際は、揺れの大小にかかわらず、より高い所へ避難する事が大切です

 

※一部 以前のブログと記事、写真が重複しました 写真が持つ記録と言う意味を伝えたかったので、ご容赦下さい

 

●お友達 シンガーソングライター、Yuria Cantanteさんの新しいカバー曲、安全地帯の「悲しみにさよなら」がYouTubeにアップされました とても素敵な歌声 是非一度お聴きになってみて下さい 絶賛応援中です! 気に入って頂けたら、高評価 チャンネル登録 シェア よろしくお願いします