福田英寿(侃諤亭) -71ページ目

福田英寿(侃諤亭)

大勢でやかましく議論したりする時「 けんけんがくがく」とか「かんかんがくがく」と云うことがあるが、そんな時には「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)と云うべきが正しいようである。
私は、侃侃諤諤( かんかんがくがく)を目指したい。

私の手帳のスタートは、現職時代は4月であったが退職後は1月。大体12月のこの頃から新しくする習慣。改めて整理した。異動で日南町に赴任が昭和56年11月。それ以前を探すに東京時代のものはなく、昭和57年(1982年)から今年分までの36年間の36冊。 パラパラと見るとやはり懐かしい。年齢は40歳から75歳の現在までだから、私の生涯そのもの。中には、単なる行事の予定などでなく、その時々の「喜怒哀楽の記述」もあり、私の生きてきた証。この始末、木箱に入れて地中深く、又は鉄箱で日野川の源流の淵に沈めるか、当分悩みが又ひとつ。

高校の非公式同期会。正式な記録はないが、20年ほど前から開催している。今日夕方から米子市。いつも場所提供の彼が、茶店をたたむというので、東京から又病後のドジョウすくい名人も参加。東京からの彼は、明後日に地元高校のイベントに出演のためでもあった。
地元茶店の親父として国鉄民営化後、茶店を切り盛り。今や、日野川の鮎釣り名人。米子市でも達人の彼。私たちにとっても、米子市の花見の会場でもあった茶店の亭主。国鉄職員だったなので、料理人の腕はなかったと思うが、ソバ打ちを修行。同級生の中でも頑張り屋さんの一人。昭和36年高校卒業、今から56年ほども前、今夜も同期20数人が集まる自慢の会。茶店の親父卒業、やったね。
頑張った彼は私たちの誇りです。

 過日沖縄に1泊で行き、帰る飛行機の時間までに見学した3ヶ所の内のひとつ、摩文仁の丘。私は、現職時代にも行ったことがあったが、何度見ても考えさせられる。以前より整備されている感じであったが、改めてたくさんの人達の名前を刻まれた碑を見て戦争とはと考えさせられた。以前、鹿児島・知覧特攻平和会館と同様、悲しみを感じるところ。世界は、大きな戦争を2度も経験したのに、あちこちでの戦争状態。政治家は、話し合うのが仕事だとは思うが、お互いにののしり合い状態。