福田英寿(侃諤亭) -26ページ目

福田英寿(侃諤亭)

大勢でやかましく議論したりする時「 けんけんがくがく」とか「かんかんがくがく」と云うことがあるが、そんな時には「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)と云うべきが正しいようである。
私は、侃侃諤諤( かんかんがくがく)を目指したい。

今日は終戦追悼式。
昭和から平成、次の世代には「終戦」「戦後」って何だとなるかも。今朝のテレビは、戦争のことを若い世代に知ってもらいたいとアニメやゲームを活用している例を紹介。私も、何とかしなければとの気持ちには同感だが、戦争は死ぬこと、血が出ること、ゲームのように再度の挑戦はない。それをゲーム等で伝えられるだろうかと心配。「特攻」や「戦艦ヤマト」の話は勇ましいが、つまりは「人殺し」のこと。彼ら彼女らに血が出れば痛いく、死ぬを今教えねばならぬことには、賛成。戦後73年平成30年8月15日。

日本中人口の大移動が始まった。日南町でも、一年で一番人口が増加する時期。私の実家は無くなったので過去三代のお位牌は当家に来ていただいた。したがって、あの世から帰ってもらうために最低限度のお迎えの儀式をした。昔のようなことはとてもできないので、迎え火とナスとキュウリで乗り物。そして提灯を灯した。親父は享年59歳で亡くなったので大人同士親身に話した記憶はない。先月亡くなった弟共々言いたいことは山ほど、今年こそ送り火までに言おうと思っている。

甲子園では全国の野球選手権大会が開催されている。甲子園に行かなかった高校の残った孫たちもあれから「危険な暑い日」といわれる中も、ほぼ毎日のように練習していた。今日は、鳥取県西部の大会とかでジジババは、応援に出かけた。3年が引退したので2年生の孫も、スタメン。結果は打順1番で4打数3安打、フォアボール1つ、2打点で活躍。チームも10対0で勝利。小学校2年からのの野球も来年のこの頃までのほぼ1年間のみ。当方も体調に注意して、来年の引退まで見届けたいと思っている。